分かることと、できることは違います。
まず、分かっても、たっぷり練習しないとできるようにならない、
ということがあります。
このことは、すでにみなさまよくご存知なのではないでしょうか。
かけ算のやり方を知っていることと、
複雑なかけ算を間違いなくやってのけることは、
ぜんぜん違うことですものね。

ところが、この逆のケースはどうでしょうか。
できてはいるが、実は分かっていない、という場合です。
こちらは意外と見逃されてしまっているのではないでしょうか。
すらすら解いていても、それはただ、作業として手順を理解しているだけで、
じつは何も分かっていない。
それでも、定期テストなどでは高得点を取ってきますから、
周りは分かっていないことに気づかない。
本人も、勉強とはこういうことをいうのだと思ってしまう。
こういうケースが実に多いのです。

たとえば、この問題には、この公式を当てはめれば解ける、
どうして解けるのかは知らないし、この公式が何を意味しているのかも
分からないけど、とにかく解ける。
数学が出来るというのは、こういうことなのかなあ、
違う気もするけど、ま、いいや。
というようなケースです。

社会科でいえば、穴埋め問題は前後にこういう用語があったらこう答える、
という流儀でしのいできている子がこれにあたります。
大化の改新とあったら、とりあえず中大兄皇子と書いておけ、
というようなやり方です。

自分でも、あまりよく分かっていないことは知っています。
でも、そんな程度でも、そこそこの点数は取れてしまうため、
こんな方法でもいいような気がしてしまいます。

大化の改新って何?と聞かれても、
中大兄皇子と中臣鎌足がしたこと、くらいしか答えられないのに、
それでも当面は不自由しないため、ことの重大さにはなかなか気づきません。
ことの重大さ、とは何でしょうか。

それは、こんな無意味な作業を勉強だと誤解してしまうことです。
もちろん、こんな方法では、難解大学の入試には、到底太刀打ちできません。
学校の成績は良いのに、どうして?
と言われる子たちは、みんなこういう症状です。

勉強で何より優先すべきことは、「分かること」です。
分かるとは、手順を覚えることではありません。
ましてや、解答をまる覚えすることでもありません。
解き方、ではなく、考え方を説明できるようになることです。
こうすれば解ける、ではなく、
なぜそうすれば解けるか、を説明できるようになることです。

こういうことを申し上げると、
いくら理解できたって、解けるようにならなければ仕方がない、とか、
けっきょくは覚えなくてはいけないんだから、
さっさと覚えればいいじゃないか、
と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
じっさい多くの塾は、たくさんやらせることで、
「できるようになること」「解けるようになること」
を目指しているように思われます。

たしかに勉強は、自分で納得できる方法でやることが大切ですから、
ひたすら覚えるのがよい方法だ、と信じる人にとっては、
ひたすら覚えることが、一番よい方法であることに違いありません。

しかし、自分の勉強を振り返っても、これまでの経験に照らしても、
分かりもしないで覚えることは、大変効率が悪い。
ものすごく時間がかかり、そのわりにあっという間に忘れてしまう、
それに対して、しっかり分かったことを覚えるのは、
きわめて簡単です。というより、
分かったことは、分かった時点でほぼ暗記できているものです。

もちろん細かいことは棒暗記するしかないのでしょうが、
それにしても、骨組みがしっかり出来ているところに肉付けするのですから、
土台もなく心棒もないところに脈絡のない知識を積み上げていくのとは
雲泥の差があります。

さて、それでは、しっかり分かるためにはどうすればよいのでしょうか。
簡単です。
しっかり分かるつもりで取り組み、分かるまで粘ることです。

多くの場合、分かるよりも先に解けるようになるものです。
そこで次に進んではいけません。
解くための手順を覚えたのと、分かったのとは違います。
ゆっくり考え、自分のことばで説明し直せるかどうか、
あせらず確認してください。

それだけです。
ほんとうに、それだけ。