無駄な勉強はやめよう、というと、
子どもは喜び、親御さんは、たいてい心配します。
それは、無駄な勉強をやめる=勉強の量を減らす
というように思ってしまうからでしょう。

そういうことではないのです。
無駄な勉強とは、やっても残らない勉強のことをいいます。

試験に出ないところを勉強するのは、無駄ではありません。
直接問われる知識以外の部分の分厚さが、土台をしっかり支えている
ということはよくあることです。
歩幅の分だけしか板が渡してない吊り橋なんて、
怖くて渡れるものではありません。
余白をなくした水墨画など、なんの味わいもありません。
わたしは無駄な知識には、案外いわく言いがたい効用があると
思っています。

もう一度繰り返せば、無駄な勉強とは、
やっても何も残らない勉強のことです。

英語でいえば、膨大な語法問題を理解もしないで解き続けることや、
単語をお経のように唱えて覚え、小テストが終わったら全部忘れることや、
教科書の和訳を覚えているだけで、どうしてそういう意味になるのか考えない
ことなどは、全部これに当てはまります。

そういうものは、勉強ではなく、作業、といいます。
作業は頭を使いませんから、何も頭に残らないのは当然です。
無駄な勉強をやめる、というのは、何も楽をしようというのではありません。
ひたすら量をこなし、知識が自動的にたまるのを期待する、のではなく、
やったことをきちんと理解して自分のものにして行こう、ということなのです。