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こんなことが

毎日のんびり暮らしていたら、
いつの間にか、世界が変わっていた。

内閣が、与党が、
衆人環視の中、堂々と、
憲法を無視し、
採決の手続きを無視し、
権力を振るう。
こんな光景を目にする日が来るとは思ってもみなかった。
一生をただのんきに生きていたい身としては、
悪夢のような光景である。

安保法案は、あるいはわが国の安全保障に資するものなのかもしれない。
国際協調の観点から、あるいは経済的な利益を考えても、
ありうる選択なのかもしれない。
しかし、問題はそういうことではない。
法案の中身の是非以前に、
これほどまでに手続きが軽視されている。
そしてそれが通用してしまっている。
このことが、衝撃だった。

多数決でことを決するのは当然だし、
国会前のデモに耳を貸さないのも、政権の判断としてあり得るだろう。
しかし、憲法を無視することは許されない。
手続きを無視することは許されない。

なぜなら、
地味な、つまらない、杓子定規な手続きこそが、
もっとも確実に作動する安全装置だからだ。
権力の暴走を止めうるのは、英雄的な正義などではない。
例外なく、決められたルールを愚直に守る、
そんな頑なさに他ならないからだ。

この許されないはずのことが行われただけでなく、
目的のためには手続き上の瑕疵は問題にならないという、
近代国家にあるまじき行いが、けっきょく通用してしまった。
なんということか。
こんな日が現実に来るとは思っていなかった。

 

話にならない

うすうすは感じていたのだが、ここへ来て、ますます議論というものの無意味さが際立ってきている。安保法制をめぐる一連の動きのことだ。
お互いに自分の意見が正しいと信じているから、相手の意見を聞いて自分の意見を修正しようという姿勢が少しもない。結果的に、お互いが独立に自分の意見を繰り返すだけで、まったく議論は深まらない。
そのうえ、議論が深まらないのは議論の仕方がまずいのではなく、ただ相手が愚かで頑迷だからだとお互いが思っている。

相手の言い分を聞いて、意見を修正するような議論はありえないのか。
自分の意見を修正するような潔い人はいないのか。
孔子に挑んだ子路のように、勝海舟と向かい合った坂本龍馬のように、相手の言い分に耳を貸し、正しいと分かればその場で態度を改める。そういう姿は見られないのか。