未来のぼく

タイムマシンがあったら、過去と未来とどっちに行きたいですか。
理由も合わせて教えてね。
ってなお題で作文を書かせてみた。
そのなかに、
未来に行って、大人になった自分を見てみたい
なんていうのがあった。
面白いな、と思った。
小学生の作文には、概して想像力が欠けている。
定型的な文章を並べることしかできない子どもが多い。
ぼくは月並みなことを無難に書いた作文よりも、
込み入ったことを書こうとして破綻した、
勇気ある作文を評価する。
んで、そのときも試しに訊いてみた。
そこで見た未来の自分がさ、
背が高くてスマートで仕事をばりばりこなす
やり手弁護士なんかだったら
いいかもしれないけどさ、もし
デブではげで貧乏でもてないおっさんだったら、
どうする?
そういう未来が待っていることを知りながら、
それでもきみは、
今みたいにこつこつ勉強を続ける気になるか?
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今の社会は、将来に希望がもてない社会だと言われる。
マスコミのみなさんが
どういう社会観を作りたいのかはしらないけれど、
しかし、こういう子どもの作文を読むと、
子どもはそれほど将来を悲観していないような気がする。
楽観は無知と似たところがあるけれど、
未来のぼくを見てみたいなあ、と無邪気に言える明るさがあれば、
それを支えるものが楽観だろうが無知だろうが、
構わないように思う。
知識や情報がそろって悲観を指し示すのであれば、
そういうものには目を向けず、
根拠もなくへらへら明るく進んだほうが、
もしかしたら正解なのかもしれないしね。