読めるとたのしい

もしここで、
日本語の読み方を勉強するといいですよ、
なんて言おうものなら、
馬鹿にするな、と叱られるのが落ちだろう。
今これを読んでくださっているみなさんだって、
そうね、読めない人はいるけれど、
それは私のことではないわ、
と思っていらっしゃるのではないかしらん。
ぼくは無謀にも、
自分の力量をずうっと超えた本を読もうとして来たから、
自分の読めなさについては相当に自覚的である。
そして難しい本ばかりではなく、
やさしく見える文章でも実はちーとも読めていなかったな、
と反省することは今でも多い。
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今日はたまたま池田晶子さんの文章を読んでいて、
またそんな気分になった。
この人の文章とはどこか波長が合わないのか、
ふつうに読むと、ふしぎなくらい頭に入って来ない。
論理というより連想によって導かれたバラバラの文が、
明滅する詩のように、
独り言のように投げ出されている感じがする。
ひとつひとつの文は易しいけど、
全体としてのつながりがどうも頭に残らないのだ。
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そこで、今日は、勉強モードで読んでみた。
リズムに任せてがんがん読んじゃうのではなく、
切れ切れに見える意味のつながりを、
積極的に見つけていこうとしてみたわけだ。
そうしたら、あーら不思議。
あんなに分かりにくかった文章が、
たいへん筋の通った、誤解の余地のない、
明晰なことを言っているように見えるではありませんか。
言い回しについての、生理的な好悪は残るものの、
こいつはもしかしたら、お付き合いできるかもしれない、
と少し嬉しくなった。
というわけで、ちゃんと読もうという意識と、
ちゃんと読むための方法をもって読むと、
面白い本はまだまだいっぱいあるんだなあ、と思いました。
本の価値は読み方で決まる。
平凡ですが、本日の教訓でした。
おしまい。