床屋政談なんですが

そうそう、小泉純ちゃんが終戦記念日にお参りした話。
まだ何日も経っていないのに
もう報道が途絶えちゃったところを見ると、
中国も韓国も、
純ちゃんのことはもうどうでもいいようである。
純ちゃんは純ちゃんで
そのあたりの反応をちゃんと計算に入れて、
任期の最後まで待って決行した、ということらしい。
あったまいいー。
ぼくはこのことについて、
中国や韓国があたかも当然の権利のように
介入してくるのが大変気に入らないのだが、
純ちゃんがこれまた当然のように参拝したがるのも
気に入らない。
理由は簡単、純ちゃんがこの件に関して、
国の利益を考えて行動しているとは、
到底思えないからだ。
東京裁判が不当だとか、
中韓の言い分が気に入らないとか、
戦争の犠牲者を悼むのは当然だとか、
そう考えるのは構わない。
しかし、そうした考えが仮に正しかったとしても、
政治家というものは自分の主張そのまんまの行動に
走ってよいものではない。
政治家に期待されているのは、
筋の通った立派な人として振る舞うことではなく、
みっともなくても構わないから、
安全だとか経済的な安定とか国際的な発言力とかの
「利益」をきっちりもたらしてくれることなのだ。
ところが純ちゃんのお参りってのは、
ぼくたちにとって
何の利益もないように思えるんだよねー。
今度の総理大臣は、格好悪くてもいいから、
利益を求めて立ち回る
商売人のような人がいいなあ、
なんて、勝手なことを思います。おしまい。