若い頃、無謀にも哲学に憧れた時期がある。そのときすぐに気づいたことは、日本人が書いた哲学の本というのが、ほとんど見あたらないということだった。ヨーロッパの思想を紹介した本はたくさんあったが、引用に頼らず、自分で言葉を積み上げながら考え抜こうとしている本とはあまり出会うことができなかった。その中で大森荘蔵は、世界と私、とか、過去・現在・未来、という当たり前の構図をごっそり考え直すという大仕事を、自分の言葉で行おうとした稀有な人だったと思う。もやもやとした像にくっきりした形を与えるたったひとつの言葉を求めるその姿勢には、誰かの学説を紹介し、ところどころ批判してみることで何ごとかを語ったような顔をしている学者とはまったく違った迫力がある。ふだんわれわれは、「見えるってことは、目に入った光が電気信号になって脳に伝わるってことでしょ」なんて片づけているが、こういう本を読み返してみると、網膜に映っている小さな像がはるか向こうに広がって見えている不思議を、もうちょっと考えてもいいような気がしてくる。