月別アーカイブ: 2015年10月

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」

80年前に書かれた少年のための人生読本。15歳の少年コペル君がさまざまな経験を通して道徳を考え、生産関係に気づき、自分の弱さに打ちひしがれながら、人間的な成長を遂げていく物語。物語といっても、ここで本当に語られているのはストーリーではなく、人としての生き方である。何ごとにもまっすぐ向き合い、とことん考えようとするコペル君も、大人の知恵をもって常に彼を支える叔父さんも、今となっては「ありえない」人になってしまった。一時流行した「なぜ人を殺してはいけないのか」などという不毛な問いを思い出すにつけ、こんなにまっすぐ人としての生き方を語れた時代が羨ましくなってしまう。

池田晶子「14歳からの哲学」

前回取り上げた永井均の本は、考えることを楽しむというような軽いスタンスが身上だったが、対するこちらはずっと熱い。本気でいろいろなことを考え抜こうとする人には、これほどすぐれた入門書はあるまい。哲学を語りながら、冷徹な論理だけでないところが好もしい。ゴッホは生活の苦しさなど問題にしていなかった、なぜなら絵を描くのでなければ生活する理由などなかったからだ、なんて書きぶりが、安定だけを志向する小さな道徳観を強く揺さぶる。「個性的であるということと、人と違おうとするということとは、まったく逆のことなんだ」というくだりを読んで、自分探しとやらに迷い込んでしまっている人たちに、聞かせてやりたくなった。

永井均「子どものための哲学対話」

前著「<子ども>のための哲学」とは違い、この本はどうやら本当の子どもを対象にしているらしい。ある正しい答えを教えるのではなく、問いを問いのままぶつけ、子どもにものを考えさせようという目論見の本である。明快な結論=安っぽい道徳を並べた本ではないから、覚悟を決めて向かい合わない限り、どこを読んでも宙ぶらりんの気分にさせられてしまう。正解のインプットとアウトプットだけに明け暮れている「賢い」子どもたちにとって、こういう読書は想定の範囲外だろう。かつて売れに売れた「ソフィーの世界」は哲学ではなく哲学史の本だったが、こいつは読み手の力量次第では、ほんとうに哲学の本になりうる作品だと思う。