昼寝をしていたら、夢の中でケータイがなった。
メールじゃないな、と思った。
そしたら、どういうわけか、
「はい、フォーンです」
と答えてしまい、恥ずかしくて目が覚めた。
分かるかなあ。
神社とホンダのコラボ。
にわかきれい好き
最初に断っておくが、
ぼくは落ちた物でも平気で食べてしまうようなヤツである。
それがここ数日、妙なことになっている。
新型インフルエンザに備え、手洗いうがいを始めた。
そのうちに、うがい薬を使うようになった。
手も石けんでごしごし洗うようになった。
タオルの雑菌が気になって、ペーパータオルを買ってきた。
消毒用のアルコールも使い始めた。
子どもたちがお茶を飲むグラスが心配で、
アクリルたわしを除菌してから洗い直した。
それでも安心できず、結局使い捨てのカップに切り替えた。
トイレのドアノブや電灯のスイッチや水道の蛇口やらを
アルコールで拭いた。
机はどうしよう、鉛筆立ての筆記用具は大丈夫だろうか、
なんてことも思う。
レッスン中にだれかがクシャミをすると、
口をおおった手が、次にどこを触るかを追ってしまう。
飛沫が飛んだあたりを、後から拭いておかなくちゃ、
なんてことが頭をよぎる。
まったく、インフルエンザよりも、この方がよほど病的だ。
こんなことは長続きしないだろう。
いずれ飽きて、そこそこのところに落ち着くだろう。
が、それにしても、落ちた物でも平気で食えるいい加減さと、
こういう神経質さが同居できるなんて、
わがことながら面白い。
変わらなくちゃいけないらしい
しばらくご無沙汰していたら、画像のアップの仕方が変わっていて、
よくわからない。えーと、こうかな。
パソコンの世界だけでなく、あちらでもこちらでも、
あらゆることが変わってあたりまえ、
ってことになっているんだけど、
いったい、こんなに変わらなくちゃいけないものなのかねえ。
あんまり変わることばかりをよしとしていると、
民主党になっても世の中はあんまり変わらなくてつまんないから、
こんどはいっちょ独裁政治でもやらせてみるか、なんていう
おそろしい発想にもつながりかねないような気がするんだが。
個人的には、
問題がなければ何も変えるな、という言葉が好きだ。
だめ?
リニューアル
3年半ぶりに、塾のページを更新しました。
すっかりソフトの使い方を忘れてしまい、青息吐息の更新作業でしたが、
なんとか終わって一息です。
ただ、マックで作った色合いが、ウィンドウズではまったく違って見えたり、
画像の一部が使うパソコンによって見えたり見えなかったりもして、
まだまだ直すところもたくさんあります。
しばらく見苦しい状態が続きますが、ご勘弁くださいまし。
ブログの更新も2年ぶりです。
こっちの使い方も忘れちゃったので、写真のアップもできません。
文章もしばらく書いていないし、なかなか大変そうですが、
ちょっとずつ書いてみようと思っています。
またお付き合いいただければ幸いです。
知らぬこととは言いながら
ちーと買いたい本があって、栄に行ってきた。
何軒か回ったが、目当ての本は見つからない。
興味を引かれた本もあったが、
立ち読みであらかた読んでしまい、
結局何も買わずじまい。
ついでだからと靴を見て、
筆記用具だの手帳だのを物色した。
何度が手に取ってはみるものの、気持ちが乗らない。
外へ出て、お昼にしようと何軒かメニューを眺めるが、
これまたあまり食べたい気分にならず、
とうとう食べずにすませてしまった。
教室に戻り、
カバンを開けて驚いた。
おーお。
サイフがない。
現金もない。
カードもない。
しけんもなんにもない。
そういえば、
朝、いちどサイフを出した覚えはあるが、
カバンに入れた覚えはない。
どうやらそのまま、出てきてしまったらしい。
あ、ケータイ忘れた、とは思ったが、
サイフも忘れていたとは。
いやいや。
今日いちにち、お金を持たずに過ごしていたのね。
ふつうの顔して、買い物客然としていたのね。
1銭も持っていないくせに、
本を買おうとか、靴を買おうとか、
文房具を買おうとか、石鹸を買おうとか、
食事をしようとか、ジュースを飲もうとか、
疲れたからバスに乗ろうとか、
郵便局で振り込みをしようとか、
そんなことを思っていたのね。
飯でも食っていたら、大ピンチでした。
想像するだけで泣きそうです。
まったく、あぶないところでした。
どういうわけか
古い建物を見ると、ついふらふらと近づいてしまいます。
とくにガラスが割れていたり、
壁が落ちていたりすると、もう我慢できない。
なんででしょうね。
看板と張り紙
こういう看板は、よくある。
しかし、こ、これは。
自分のことを棚に上げて
「先生は勉強しろって言うけどさ、
勉強した結果、先生みたいになっちゃうなら、
おれは勉強なんてしたくない。」
なんてことをよく思っていた。
高校生の頃だ。
「そもそも勉強というのは、
それ自体が目的ではなくて、
勉強で身につけた何かを生かして、
別の何事かを成しとげるためのものだろう。
それなのに、先生は、
ただそれを下の世代に丸投げしているだけで、
何かを生み出しているわけでもない。
それでさも立派な人のように説教を垂れているなんて、
ちゃんちゃらおかしいよなー。」
そんな風にひねくれていた自分に向かって、
今のぼくが何かを言ってやるとしたら、
それはきっと、こういうことだろう。
あのね、立派なのは先生じゃなくて、
先生が伝えてくれている中身なのよ。
だから尊敬しなくちゃいけないのは、
先生じゃなくて、勉強の方。
人類がずーっと数千年も大事にしてきたものだもの、
そりゃすごいに決まっているだろ。
先生はそんなに大したことはないかもしれない。
でも、先生が伝えている勉強は違うんだ。
勉強はすごい。
面白い。
うーんと尊敬するといい。
な、分かるか、おれ。
いらないんだけどね
こんな短いエスカレーター、いらないじゃんっ
て言いながら、ごらんの通り、みんな乗っています。
名古屋・栄にて。