マスクきたきた

ついにわが家にも、あのあのあのマスクがついについに届きました。

マスクを縫うのは大変な仕事です。マスク運ぶのも、配るのも大変です。縫ってくれた人、届けてくれた人、ありがとう。政府のすることは完全ではないかも知れないけれど、働いてくれた人たちの努力を、笑ったり馬鹿にしたりしていいはずがありません。それは政治的な主張以前に、人として間違っています。必死で働いてくれた人たちに感謝するのは当然です。ありがとう。

と思う気持ちは美しいと思う。素直で無垢で善良だ。
しかし、これは先の戦争で国や軍部の犠牲になった人たちに対して、兵隊さんありがとう、と感謝を捧げるのと同じ構造ではないのか。感謝の気持ちは尊いが、この感謝は同時に国の無能や非道を覆い隠し、それに対する批判を封じる役目をも果たしてしまう。

なぜならわれわれが感謝できるのは、価値あるものに捧げられた犠牲に対してだけだからだ。そうでないときに抱くのは、感謝であるよりむしろ悲嘆であり哀憐である。国に見捨てられ飢えて死んだ人たちに向かって「兵隊さんありがとう」とはふつう言えない。

だから「ありがとう」と言うためには、その戦争は、何としても国を守る尊い戦いだったとするしかない。兵士に対する感謝と兵士が仕えたもの(国)の美化とは常に一体なのである。

くだんのマスクも同型である。マスクを作り届けてくれた人たちに、かつての兵隊さんに対するような感謝を抱くとき、われわれは国を美化しないでいることはできない。まったく無意味で不要な仕事をしてくれてありがとう、とは言えないのだ。ありがとうと言うためには、みんなのために良いことをしてくれた、とみなす他はない。

しかしこれはおかしいだろう。働いてくれた人に感謝したい。だからアベノマスクは素晴らしい政策だと思います、というのは完全に論理が転倒している。それだけでなく、人のよい良心的な人ほど批判が封じ込められてしまうという構造を持つ点で、見逃してはならない危険を孕んでいる。

感謝の気持ちは間違いなく尊い。しかし本来なら感謝を受けるにふさわしい仕事ができる人たちに、かくも馬鹿げた無意味な仕事をさせてしまったのだ。どんな利権が絡んでいたのか知らないが、そういう愚行の旗を振った連中にはもっともっと怒っていい。

今度こそ、みんなで選挙に行きましょう。