月別アーカイブ: 2007年7月

こんなところで

20年近く前、キース・ジャレットをよく聴いた。
特にトリオの演奏が好きで、
お気に入りのCDに
毎日毎日耳を傾けたものである。
おれの葬式には”God Bless the Child”を流してくれ、
なんて言っていたのもこの頃だ。
で、きのうユニクロに行ったら、
こんなTシャツが売っていた。
わーお。
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さっそく古いCDと、記念撮影。
このためだけに買ったのか?

きょうは海の日

小学生に、
海の日って、海ができた日ですか。
と聞かれて驚いた。
何百億万年前に雨が降ってできたんでしょ、
というのは、まあ、ほぼ合っているとしても、
何百億万年前の日付を特定できると
思ってしまう発想が分からん。
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いつだったか、
わが国の建国記念日について中学生に尋ねたら、
アメリカから独立した日、とか、
ユーラシア大陸から分かれた日、とか、
初代「大統領」が就任した日、
などというナイスな解答が返ってきたことを
思い出す。
嘆いているのではない。
子どもの発想、というより非常識さってのは、
じつに面白い。

生き甲斐ってのはさ

むかしむかし中学だったか高校だったか、
クラスで話し合いをする機会があった。
どういう経緯で決まったのか、
出されたお題は「生き甲斐について」。
司会進行の級長くんが話し合いに先だって、
まずこう口を切った。
「生き甲斐って言うと、趣味ってことになると思うんですがあ」
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びっくりした。
全然違うだろ。
生きている甲斐、ってことは、
そのために生きそのために死ぬことができるイデー、
とまでは言わなくても、
矢吹丈にとってのボクシングのような、
もっと自分の生に近いものじゃないのか。
最初から方向を誤り、
すっかり趣味談義になってしまったその後の議論は、
当然ながら覚えていないが、
あのとき感じた強烈な違和感だけは、今でもときどき
思い出す。

しょうがなくないだろー。

原爆を落とされた、つまり被害国の大臣が、
大学の講演会で、
「あの状況下でソ連の参戦を止め、
北海道を占領させないためには、
原爆の使用も選択肢としてありえた、しょうがない」
という旨の発言をして、職を追われた。
一方、原爆を落とした、
つまり加害国の核不拡散特使が、
国務省の記者会見で、
「何百万人もの日本人が命を落とした
であろう戦争を終わらせた」
として原爆の正当性を強調する発言をしたが、
こちらはさほど問題になっていないようだ。
発言の場所も背景も確信ぶりも、
久間氏の場合とは比較にならないほど
重い発言だと思うんだが、
いじめっ子の開き直りに一言も言い返せない
なんて、あまりに悲しい。
アメリカは一貫してこの主張を繰り返しているが、
ということは、
同じような状況になったら
俺たちはまた使うかもしれないぜ、
と言っているに等しく、
もちろんそんな彼らの言う核不拡散というのは、
俺たち以外は核を持つな、という意味なのだが、
そういう身勝手な放言を耳にするたび、
やはり日本はアメリカの属国なんだと
思わないではいられない。しゅん。
ところで久間氏を糾弾したみなさん。
講演会で語るべきだった正解は、
「たとえ北海道がソ連に占領され、
日本が分断されることになったとしても、
原爆は落とすべきではなかった」、ですか?