そうそう、小泉純ちゃんが終戦記念日にお参りした話。
まだ何日も経っていないのに
もう報道が途絶えちゃったところを見ると、
中国も韓国も、
純ちゃんのことはもうどうでもいいようである。
純ちゃんは純ちゃんで
そのあたりの反応をちゃんと計算に入れて、
任期の最後まで待って決行した、ということらしい。
あったまいいー。
ぼくはこのことについて、
中国や韓国があたかも当然の権利のように
介入してくるのが大変気に入らないのだが、
純ちゃんがこれまた当然のように参拝したがるのも
気に入らない。
理由は簡単、純ちゃんがこの件に関して、
国の利益を考えて行動しているとは、
到底思えないからだ。
東京裁判が不当だとか、
中韓の言い分が気に入らないとか、
戦争の犠牲者を悼むのは当然だとか、
そう考えるのは構わない。
しかし、そうした考えが仮に正しかったとしても、
政治家というものは自分の主張そのまんまの行動に
走ってよいものではない。
政治家に期待されているのは、
筋の通った立派な人として振る舞うことではなく、
みっともなくても構わないから、
安全だとか経済的な安定とか国際的な発言力とかの
「利益」をきっちりもたらしてくれることなのだ。
ところが純ちゃんのお参りってのは、
ぼくたちにとって
何の利益もないように思えるんだよねー。
今度の総理大臣は、格好悪くてもいいから、
利益を求めて立ち回る
商売人のような人がいいなあ、
なんて、勝手なことを思います。おしまい。
月別アーカイブ: 2006年8月
浴衣はいかがっすかー。
はい、今日の写真は浴衣です。
かわいいですね。夏らしいですね。
ご存じでしたか、
この浴衣、わんちゃん用なんですよ。
ええ、そりゃ分かっています。
近ごろのわんちゃんはデリケートで、
暑すぎたり寒すぎたりしてはいけないから、
必要に応じて服を着せてやる必要があるんですよね。
はいはい、分かっています。
ついでに調べてみると、
わんちゃん用のサングラス、なんてものも
あるんですね。
ええ、もちろん分かっていますとも。
近ごろのわんちゃんはデリケートで、
まぶしすぎる日差しはよくないんですよね。
白内障のわんちゃんとかもいますもんね。
そうそう、わんちゃん用のサッカーウェアとか、
野球のユニフォームっていうのもあるんですね。
そうですよね、わんちゃんだって、
ひいきのチームを応援したいものですもんね。
このユニフォーム、暑くないように、
ちゃんとメッシュになっているそうですよ。
いやあ、配慮が行き届いているなあ。
だったら着せない方がよほど涼しいじゃないか、
なんて、そんなこと思っていませんよ。
やだなあ、もう。
さる御一行の行状
山梨の温泉に向かう途中、目の前にサルが飛び出してきた。
あぶねー。
クルマを停めてしばらく見物していると、
そいつはほどなく茂みの中に消えたが、
その後に次から次へと七八頭も走り出してくるから驚いた。
ちょうどそこは、山と里を行き来する通り道にあたって
いたのかもしれない。
彼らにしてみればいつもの通りの行動だったのだろうが、
しかし不幸にして人間様の世界はいつもとは違っていた。
なんせお盆休みである。
日頃はサルが行き交うのんびりした田舎の道も、このとき
ばかりは行楽地に抜けるメインルートになってしまっていた。
ほとんど切れ目なくクルマが走り抜ける状況に、
ご一行様はすっかり戸惑っているようだった。
いきなり飛び出したり道の真ん中で立ち止まったり、
危なっかしいったらない。
体を硬くしてしばらく見ていたら、案の定、
一匹ぽんっとはねられてしまった。
引っかけられたようなかっこうでころころっと転がったかと
思うと、そのまま藪の中に見えなくなった。
しかし、あのはねられ方では相当のケガをしただろう。
ケガをした猿が、どんな風に生きていくのかは知らない。
面白がって見ていただけなのだが、
どうにも悪いことに荷担してしまったような気分になった。
またまた仏像ってか
2週間前に夏休みを取ったばかりなのに、
今度はお盆休みである。
出かける先は琵琶湖の北岸の高月町。
お目当てはまたもや十一面観音である。
ちょうど収蔵庫が改修中で、
観音堂に収められた状態で見ることができた。
そりゃ収蔵庫の方が近くで見られるのだが、
コンクリートでガラス張りってのは、どうもねえ。
蝉しぐれの中、いつまでもひとりで観音像と
向かい合うってのは、なかなかよいものだったわさ。
それからね、
ついでに、って言っても百キロくらい離れているんだけど、
宇治の平等院に行ったのよ。
折も折、花火大会と重なって、いやいや、これが、
なかなかどうして。
宇治川の花火、というと何やら雅な感じがするが、
阿弥陀如来を見上げ、
藤原氏の栄華に思いをはせているときにですね、
お祭りですからね、
川べりの安っぽいスピーカーから、
演歌や演歌やトトロの歌が流れてくるわけですよ。
「あっるっこー、あっるっこー」ってね。
まあこの状況は、
シュールといいますか、
王朝の文化と現代とのコラボレーションといいますか、
まあ、何と言うべきなんでしょうね、
とにかくね、
ちょっとメイちゃんがきらいになりました。
まったく、お祭りがあるならあるで、
あらかじめ電話くらいしてこいってことですよ。
ねえ。
To be, to be Heart!
公園でお昼を食べていたら、
1羽のハトがやってきた。
ぼくはハトが嫌いである。
となりに寄ってくるなんて論外である。
そこで手を振り、足踏みをし、
ついには小豆ほどの小石をぶつけてやったが
ハトは逃げない。
だったら蹴飛ばしてやろうと思って立ち上がったが、
蹴れると思ったとたん、
気持ちにぎゅっとブレーキがかかってしまった。
いやむしろ、蹴ってやろうと立ち上がれたのは、
蹴れないことを知っていたからか。
ハトが動じなかったのは、
そのことを見透かしていたからか。
じつに下らないことだけど、
ちょっと自分の枠を感じた気がした。
追記:言わずもがなのことですが、
タイトルは、訳すと「飛べ飛べ、ハト」という意味です。
そりゃ正論なんだろうけどさ
どうにもケチのつけようがない正論というのは、息苦しい。
たとえば大きな事故が起こったとき、
いったいどんな管理をしていたのかと詰め寄ったり、
自社の責任をなかなか認めない会社の態度に
怒声を浴びせたりするのを見ると、
うん、そりゃまったくそのとおりなんだけど
と、なんだか居心地の悪い感じがする。
この嫌な感じの正体は、
逃げ場を与えず他人を責める容赦のなさに対するものなのか、
さも正義の味方のような顔をして
他人事に割り込んでゆく無神経さに対するものなのか、
それとも水に落ちた犬に群がってわけも分からず打ちすえる
匿名の残酷さに対するものなのか、
自分でも釈然としないのだけど。
ただもし
「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」と言われたならば、
ぼくは石を捨てて悄然と立ち去るだろう、とは思う。
それがときとして、正義を見過ごす卑劣な行いにあたったとしても、
仕方がないんじゃないだろうか。
夢のお告げか
夢の中ですごくいいペンネームを思いついた。
忘れちゃもったいない、と思った。
眠りの中でなんども唱えたおかげでちゃんと覚えて
いられたが、その名前というのが
「サブレ戯戯」。
何だよ「さぶれぎぎ」って。
寝ている奴の考えは分からん。
なめんじゃねえぞ
ページをめくるのにいちいち指をなめるのは、
まったく品がない。
頭を掻いてフケをばらばら落したり、
ところ構わず唾を吐いたり、
くちゃくちゃと音を立てて食事をしたりするのと同様、
子どものころから大嫌いだった。
渡した本でべろりとやられた日には、
貸したハンカチで鼻をかまれたくらいにショックで、
もうその本は二度と手に取れなかった。
そういう輩とは、ともに天をいただかないと
固く思い定めてきたものだった。
しかし、自分がおっちゃんになってくるにしたがい、
ことはそう単純ではないことが分かってくる。
品があるとかないとかという問題ではなく、
指をなめでもしないことには
何かと困るようになってきたのである。
辞書を引いたり、
スーパーのポリ袋の口を開けようとしたり、
お札を数えようとしたりするとき、
指先はあたかも指紋を失ったかのごとくすべってしまう。
挙げ句におつりの千円札を、数枚余分に渡してしまった
ことも1度や2度ではない(って0度ね)。
たしかに指をなめるかわりにさりげなく鼻のアブラで
代用する手もないではないが、
でもそれは、目くその代わりに鼻くそを使うようで、
姑息なだけに余計みっともないようにも思える。
ああ乾いてしまった指先よ、指先よ。
あの白魚のようだったおまえが、
かくもがさがさになってしまうとは。
そのくせ、顔には脂が浮いているとは、
これはいったい、どうしたことだ。
もしかしたら人間のもつ体表の脂やら水分やらといった
保湿成分の量は一定で、
子どもの頃にはそれが指先に集中しており、
加齢とともにおでこや鼻の頭に移る、ということなのか。
これはちょうど、
井上ひさし氏が「ブンとフン」において指摘された
「体毛不変の法則」
すなわち「禿げた人はヒゲが濃く、
髪の多い人は体毛が薄く、
体全体としてみればヒトの毛の総数は不変である」
という大仮説と、奇しくも軌を一にする。
おお、精妙なる自然よ。不可思議なる統一よ。
精妙ついでにここらでいっちょ、
右手の指先だけ汗かきってわけにはいかないか。
歳を取るのは仕方がないが、
もうちょっと格好つけて生きていたいんだからさ。
こんなことしている場合じゃ
試験の前の勉強しなくちゃいけないときになると、
妙に部屋を片付けたくなったり
無性に本が読みたくなったりしませんでしたか。
実は明日の授業の準備がなかなか進まなくて、
このままじゃろくに寝る時間も取れないと知っていながら、
ああ、わたしは何を書いているのでしょう。
そういえば、今日はこんなことがありました。
小学校2年生の男の子を教えているとき、
わたしはトイレに立ったのです。
そしたらまだ文字通り手が離せない状況のときに、ですよ、
その男の子が、「せんせい、せんせいっ!」って、
まあ、大変な勢いでドアをノックするじゃありませんか。
おお、電話か、それともお客さんか、とわたしも慌てまして、
急いでことを済ませて出たところ、
「せんせい、さっきのもんだい、できたよっ」ってさ。
おや、こんなこと書いている場合じゃありませんでした。
これじゃいつまでたっても寝られません。
じゃ、仕事しますね。
そうそう、もうひとつ、
今日近所のパチンコ屋が新装オープンしたんですけど、
その開店祝いの花輪をチェックしてみたんですよ。
きれいにラップがかかっていて、
おお、こりゃ取られないようにしているな、
とは思っていたのですが、いや、それどころじゃ
ありませんでした。
よく見たら、なんと造花なんですよ。
お祝い事に何度も造花を使い回すとは、
どうにもしみったれた話じゃありませんか。
そうそう、それにね…