月別アーカイブ: 2007年2月

自慢じゃないんだけどさ

自慢じゃないが、
と言ったあとには必ず自慢が続くものである。
で、自慢じゃないんだけど、
ことしも私立大学の入試はほぼ終わり、
何人かはめでたく進学先が決まった。
大学に合格したのは生徒の努力の結果であり、
ぼくが自慢することじゃないんだが、
ちーと自慢したいのはだね、
こいつら、何を考えているんだか、
受験が終わり、大学が決まり、
入学金まで納めているにもかかわらず、
今日もふつうに塾に来て、
ふつうに勉強を続けているのである。
大学に籍を置きながら来年も受験しよう、
なんていうわけでもない。
ただ、いつもどおりに勉強しているのである。
こいつは英語、こいつは生物、こいつは古文。
なかなかすごくない?

どうして落とす?

ある人が食パンをくわえて歩いていたら、
水たまりに、おいしそうな食パンをくわえた人が映っていました。
そこで「おい、そのパンをよこせ」と吠えたところ、
大事なパンは、口からぽろりと落ちてしまいました?
Pan.jpg

あらよっ!

おう、なんだよ。
じろじろ見てるんじゃねえよ。
イヌってのはな、小便するときにゃ足あげるもんだ。
って、両足あがっていますけど。
sakadachi.jpg

ジャンクってジャンクのことだったんだー

もしかしたら、という抱くも愚かな期待を胸に
年末ジャンボを買ったのは、それほど遠いことではない。
宝くじというのは、
もともと売上の半分以下しか賞金に充てられていないから、
難しい計算をするまでもなく、
100円買っても50円以下しか戻ってこないものであるのは
明らかだ。
かつて「ふるさと創生」資金として一億円の交付を受けた
どこかの町が、使い途に困って全額宝くじを買ってしまった
ことがあったが、
確率的にいえば5千万円以下の当選金しか当てにできない
ものに1億円を使ってしまったわけであり、
まったく愚かというほかない。
もちろんこれはひとごとではない。
夢を買う、などという言いぐさは
自分の愚かさをごまかすだけのものだ。
こんなことを考えてしまったのは、
昨日買ったデジカメが、ちょうど
年末ジャンボ10枚分の値段だったからに違いない。くそー。
junk.jpg

バクチはいけません

たとえばですよ。
今デジカメ用のSDカードが欲しいとするじゃないですか。
1GBのを大手量販店で買うと4300円くらいしますよね。
ところが大須に行くと、
メーカー不明、動作保証なしという代物が1480円で買えるわけです。
そうすると、きっと誰だって
3倍近い値段差というのは、安心料にしては高すぎる、
とか、
ここで不安になって、高いヤツを買ったら負けだ、
とか思いますよね、ね。
で、わたしも、多少の逡巡はするものの、
そういうときには誰もがするように
安いほうをおりゃーっと買ってしまうわけです。
動けば儲けもん、ってなもんですが、
幸いこれまで動かなかったことはありません。
でね、今日、
食事に出たとき中古のデジカメを見つけたのよ。
「バッテリーがないため、動作確認していません」
というジャンク品。
ジャンク品っていっても、ピカピカにきれいだったから、
あたしゃピンときたね。
こりゃ動くよ。
もちろんジャンクですから、動かないかも知れません。
でも、考えてみてください。
動くに決まっているものに高いお金を出して、
いったい何になるのでしょうか。
そこには安く買った満足感も、
ちゃんと動いた喜びもありません。
動くか動かないか分からない物にあえてお金を投じ、
それが動くから嬉しいのではないですか。
今日家に帰ったら、さっそく電池を入れてみます。
どうか動いてくれますように、ぱんぱんっ。

すごい才能

メールを整理していたら、こんなんが出てきた。
甥っ子が5歳のときに作ったおはなし。
「昔々ある所に、勇ましい女の子がいました。
女の子は竜に食べられてしまいました。
女の子は竜のお腹の中で、
いつまでも幸せに暮らしましたとさ。」
こやつ天才か。

飛び出しくん

毎朝出会う、飛び出しくん。
右手と右足がいっしょに出ているところが
歌舞伎の六方みたいでいなせである。
つぎの一歩はどう出すのだろう。
tobi.jpg

習い性を身につけよう

目で見てすっかり知っているつもりになっているけど、
じつは読み方があやしい字ってありますよね。
たとえば、
千変万化(せんぺんばんか)とか、
習い性(ならい・せい)となる、とか、
字は簡単なんですが、読みはけっこう怪しくないですか。
—————————————
むかし授業中に先生が
「…という作品は、しゅっしょくの出来ばえだ」
なんて言うのを聞いて、
ほお、出色ってのはしゅっしょくって
読むんだ、と妙に新鮮に感じたことがある。
ではそれまでどう読んでいたか。
「でいろ」ではない。
「でしょく」でもない。
じつは、何とも読んでいなかったんだよねー。
こういうやさしい漢字は、
読めていなくても意外と気がつかない。
だからいかにも読めない漢字よりも、
ことによるとタチが悪いのかもしれない。
もっとも、
さっき挙げた「習い性となる」あたりは、
読めていないことを自覚していない人があまりに多く、
あまりに堂々と誤用をするためか、
「その人にしみついた習慣的な行動様式」
という意味はそのままに、
「ならいしょう」という名詞として定着し、
とうとう天下の広辞苑にまでに載ってしまった。
多数決の勝利というべきか。
でね。
それはそれでいいのだけれど、
いつかネットで目にした例は、さらなる進化を遂げていて、
さすがにちょっと驚いた。
どこかの学習塾のページだったか、
「こつこつ続けていけば、やがて習い性が身についていく!」
だってさ。
「習い性=勉強のクセ・習慣」だなんて、なかなかいい。

またまたこんな夢

大学のときの集まりがあって、久しぶりに東京に出かけた。
短パンに長袖のTシャツという格好をして行ったら、
みんなきちんと礼服を着ていて、とてもきまりが悪かった。
おまけに罰として廊下の隅で正座をさせられたのが、
夢ながら何とも情けなかった。
どういうわけかこんな風に、
夢の中ではひとりだけ場違いな格好をしていることが多い。
今日は短パンだからマシだったが、
この間はパンツだったし、
ちょっと言えない姿のときもある。
なんなんだろうね、これは。
夢の中ではいつもこんな具合だ。
イヤな夢だけことさらに覚えてしまっているのかもしれないが、
どうも物事がうまく運ばない。
今日の夢でも、
ひとり来ていないヤツがいたから、
電話してやろうとしたのに、
携帯電話の使い方がどうしても分からなかった。
たまに空を飛ぶ夢を見ても、
1メートルくらいしか浮かないし、
歩いている人を抜かせない。
運転する夢では、
ブレーキとハンドルがまったく効かず、
他人の庭を暴走してしまう。
なんだこれ。