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話にならない

うすうすは感じていたのだが、ここへ来て、ますます議論というものの無意味さが際立ってきている。安保法制をめぐる一連の動きのことだ。
お互いに自分の意見が正しいと信じているから、相手の意見を聞いて自分の意見を修正しようという姿勢が少しもない。結果的に、お互いが独立に自分の意見を繰り返すだけで、まったく議論は深まらない。
そのうえ、議論が深まらないのは議論の仕方がまずいのではなく、ただ相手が愚かで頑迷だからだとお互いが思っている。

相手の言い分を聞いて、意見を修正するような議論はありえないのか。
自分の意見を修正するような潔い人はいないのか。
孔子に挑んだ子路のように、勝海舟と向かい合った坂本龍馬のように、相手の言い分に耳を貸し、正しいと分かればその場で態度を改める。そういう姿は見られないのか。