月別アーカイブ: 2007年5月

ひさびさの散歩

講演会を聞きに行った。
途中うかつにも携帯電話が鳴ってしまったので、
頭を下げ下げ恐縮しつつ退出した。
皆さんの迷惑にならないように
遠くへ遠くへと思うあまり、
早足でセミナー会場を出て、
エレベーターで1階に降り、
ロビーを抜け、
外に出た。
隣接する公園を抜け、
地下鉄に乗り、
お寺に続く参道を歩いた。
脇道にそれて、
少し汗ばみながら坂をのぼって、
ふと気がついたらあら不思議、
こんな写真が撮れました。
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少ない方がいいのかも

自宅リフォームにともなう仮住まいも、もう3週間になる。
できるだけ段ボールを開けないように暮らしているため、
手元にある本は小林秀雄「本居宣長」1冊だけだ。
他に読むものもないので、
この本を雑誌のように眺め暮らしているのだが、
これがなかなかよい。
大げさかもしれないが、自然にしみ込んでくるというか、
体の一部として吸収されているような感じがするのだ。
読書百遍、というのはホントらしい。
goshimboku.jpg
こんなふうに繰り返し繰り返して読む読み方を
経験してみると、
一日一冊がんがん読む、というようなやり方は、
読書というより
情報収集とでも呼ぶべきものだと分かってくる。
言ってみればそれは、
手間のかかった極上の料理を一口食べては
ぽいぽい捨てるようなやり方に近い。
数多くの情報を取りいれよう、というのではなく、
ただこの1冊だけ、という気構えで臨むと、
読書の味わいはまったく変わってくる。
人とのつきあいと同じように、
この本だけと思い定めた一対一の関係ができてくる
みたいだ。
印刷技術の発達していない時代の知識人たちが、
それほど多くの本を読めたはずはないが、
しかし後世に残る偉大な業績は、
みな彼らから生まれている。
このことは、よーく考えてみた方がいいよね。

イヌとネコ

イヌとネコのどっちが好きかというと、
相手をしてくれるネコ
甘ったれてくるイヌ
相手をしてくれないネコ
の順に好きです。
ネコがイスに座ったぼくの足を尻尾でこすりながら
通り過ぎたりすると、
なつかれているような気になってうれしくなります。
nyanco.jpg
このネコは、相手をしてくれないネコですが、
写真だけは撮らせてくれるので、好きです。
小学生の作文みたいになりました。おしまい。

こいつだけは許せん

いつも7時半までぐーすか寝ている私が、
今朝は5時に目が覚めた。
目が覚めたのみならず、
こうして起き出して活動をしている。
すばらしい。
いや、大したことじゃない。
ほめるんだったら、こいつをほめてやってくれ。
蚊。
そう、蚊ですよ、蚊。
あ、蚊がいる!
と騒ぎ立てるわれわれに学び、
幼いわが子が
「かが」
と呼んでいたあれである。
いとけない子どもが、
「かががいる」
と「が」を余分に言うさまは何とも可愛らしかったものだが、
その長男も今ではちっとも可愛くなくなり、
もとより蚊など最初からかわいくない。
至福の思いで布団にくるまっていたら、
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ああ、うっとうしい!
目が覚め、たまらず起きてみると、
左のひじと手首と小指の付け根と首筋と頬を刺されていた。
harigami.jpg
まったくこの世にあれほど卑劣なものがあるだろうか。
夜陰に乗じてこっそりと人を襲い、
まるであざ笑うかのように羽音を立てて、
姿を見せない。
刺すだけならまだしも、
ぷーん
ぷーん
ぷーん
とまとわりついて、ついには私を起こすのだ。
こいつだけは許せない。
自然の摂理は深遠である。
人には伺い知れないバランスがあり、
一見無駄と思えるものにも隠された役割があり、
そうした役割が複雑に絡み合って、
玄妙な自然の均衡が保たれている。
もしかしたら、この蚊にも、
何かしら大きな役割があるのかもしれない。
でもいい。
どんなことになってもいい。
この地球がどうなっても構わない。
おまえら、とっとと絶滅してくれ。
まぶたも刺されてるし。
くそーっ。

15年ぶりに

前橋汀子のコンサートに行ってきた。
仕事がら夜は出かけられないので、
こういう昼間の催しはありがたい。
うかつにもチケットの購入に出遅れて、
痛恨の2階席となったが、
行ってみればホールは小さく、
ステージ正面のとても見やすい場所だった。
生ならではの
空気が鳴っているような音の響きだけで、
もう十分嬉しくて、
最初の十秒くらいは、
気持ちはどこかにトリップしていた。
もちろんそんな陶然とした気持ちは
響きに慣れた頃には消えてしまうものだけれど、
あの一瞬を味わえただけでも
出かけた甲斐があった。
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同じ音楽とはいうものの、
あれはいつもiPodをイヤフォンで聴いているものとは、
まったく違っていた。
何だろう。
映像と実物を比べたときに感じるような、
“実体感”の違いというか、
耳だけで聞くものと、
全身で受け止めるものとの違いというか、
普段聴いているものが、
演奏そのものではなく、
演奏のカタログに過ぎないような感じがしてしまった。

お湯も沸かせない大学生

まったく自慢にならないが、
ぼくは昔から、大変おぼえが悪い。
記憶力が悪いという以上に、
対象に馴染むまでに非常に時間がかかるのだ。
勘が悪いと言うべきかもしれない。
だからはじめてのことをしようとすると、
最初はほとんどついていけない。
誰もが当たり前にできることが、まったく、
本当にまったくできなかったりするのだ。
言われたことに、
なかなかチューニングが合わない。
cherry.jpg
学生のころアルバイト先で、
お湯を沸かしておいてくれ、と言われたことがある。
今となっては信じられないが、
そのときぼくはこの簡単な指示が、まったく理解できなかった。
お湯って、どういう?
沸かせって、どうやって?
沸騰させるのか?
それとも温かいお湯がほしいのか?
飲むのか?
調理に使うのか?
掃除につかうのか?
それとも加湿に?
小さな鍋で?
大きなヤカンで?
まずきれいに洗わないとだめなのか?
それとも?
なんてことがまったく分からず、
しばらくぼんやりと突っ立っていたのである。
まったく間抜けな話である。
その後1週間でクビになったが、
そりゃそうだろう。
なかなか分かってくれない子を教えるときに、
よくこのことを思い出す。

便利なのになー。

引っ越しのときの大掃除で、
行方不明になっていた単眼鏡が発掘された。
ばんざい。
これは、仏像を見に行ったり、
博物館に出かけたりするときにとても便利で、
遠くの物を見るときはもちろん、
20センチくらいからピントが合うから、
細かい細工を拡大して見るときにも重宝する。
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昨日たまたま中学生に理科を教えていたら、
地層を観察するのに必要な道具を選べ、
という設問があった。
まったく分かり切ったことをきくもんだ。
そりゃ望遠鏡だろう、と答えたら、
意外や答はバツだった。
なぜなぜ、ほわーい?

本は買って読もうぜー

本は、高い。
本は、場所をふさぐ。
散らかる。
その上、めったに読み返したりしない。
だから図書館で借りるんだ。
そうすれば、お金もかからないし、場所もふさがない。
たとえハズレを引いても、損をしない。
ぜったい自分じゃ買わない本に、
思わぬ拾い物があるかもしれない。
借りてみて、面白かったら買えばいいじゃないか。
って言われれば、
たしかにそのとおりなんだけどねー。
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しかし、
人によってさまざまなのかもしれないが、
ぼくは本というのは、
やっぱり買わなきゃいけないと思う。
書棚に並んだ背表紙を眺めているうちに、
なぜかしら本の存在が迫ってくるようなときがあり、
その一瞬の気の高まりをとらえて、
さっと手に取る。
そんな瞬間がないとなかなか読めない本も多いし、
何よりも簡単に読める状況にないと、
本に親しむことは難しい。
ぼくたちがテレビをよく観るのは、
なぜなのか。
おそらく面白さだけではなく、
リモコンひとつでごく簡単に観ることができる、
という事情も大きいだろう。
同じように、
読書の習慣をつけるということは、すなわち、
すっごく読みたいわけではないのに読んでしまう、
という習慣をつけることだから、
図書館に出かける、なんていう面倒くさい手続きは
できればない方がいい。
ちょっと手を伸ばせば本が取れる、
というカンタンさがきわめて重要なのだ。
今読んでいる本は、
買ってから読み始めるまで何ヶ月もかかった。
どのページも傍線でいっぱいである。
風呂で読んだりするからぼろぼろである。
よく分からないから何度も同じところを読み返し、
上巻だけでかれこれ1ヶ月である。
こんなこと、図書館の本でできるだろうか。

ちょいと散歩に

教室から歩いて十分もかからないところに、
大きな公園がある。
今日は天気も良かったし、
遠足に来た幼稚園児や小学生でいっぱいだった。
明るくにぎわう公園をそれて、
雑木林の中を歩いてみた。
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暑い日だったけれど、
林の中は薄暗く、ちょっと涼しい。
花もつけないただの葉っぱも、
よく見ると、きれいなものだよね。
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