近ごろの子どもは、人の話も聞けないし、
筋道を立てて話すこともできないし、
文章を読んでもトンチンカンな取り方をする、
なんて嘆きをよく耳にする。
たしかにそうだと思う。
4コマまんがなどを読ませても、
まったく話の流れを読み取れない子どもはたくさんいるし、
授業の要点を自分からまとめられる子などはきわめて稀である。
しかしその程度のことなら、大騒ぎするほどでもない。
なぜなら彼らはまだ子どもであり、
ちゃんと教えてやればそこそこの理解はできるようになるからだ。
ふだんの暮らしの中でもっと始末に悪いのは、
「人の話も聞けないし、筋道を立てて話すこともできないし、
文章を読んでもトンチンカンな取り方をする」大人であり、
話の流れをつかむことができないために、
とんでもないコメントを口走り、
とうとう議論が成り立たない人たちである。
こういう人は思いのほか多い。
もしかすると、こういう人の方が多いかもしれない。
たとえば、子どもに意欲を持たせるにはどうするか、
という話をするのに
「馬を水場に連れて行くことはできても、
水を飲ませることはできない」
というおなじみの比喩を持ち出したとしよう。
するとそういう人たちは、馬の話を受けて、
「そうそう馬って自分の思ったことしかしないのよね」
「でも目がかわいいよね」
「わたしはシッポが好き」
なんておしゃべりを始め、怪しむところがない。
こういう現実をそのままに、
子どもに英語を教え、もって国民のコミュニケーション能力の
向上を図ろう、なんて言うんだから、
文科省もなかなか冗談がキツい。