自宅リフォームのための引っ越しを控え、
部屋の整理にいそしむ毎日である。
捨て始めると、捨てることはけっこう楽しい。
考えるよりも先に片端から捨てるような有り様で、
使わない物はあらかた捨ててしまった。
日記も手紙も捨てた。
私の精神の遍歴をわずかなりとも残しているのは、
6年前から書いているweb上の雑記だけか。
過去をきれいにデリートしたような気持ちは、
すがすがしいようでもあり、
寄る辺を失った不安を押し隠した虚勢のようでもあり、
その両方が分けがたく絡み合っている。
持ち物を整理していくうちに、気がついた。
いつの間にか年を取った。
かねてから、久しぶりに着る服はどうしてこんなに
似合わないのだろう、と不審に思っていたが、
古い写真を整理し始めて、すぐに合点が行った。
今や別人なのである。
服のサイズは変わっていないが、
全体としてみると、体形は別人である。
頬の肉付きも、目の周りの表情も、
似てはいるがまったく別人である。
これでは若い服が似合うはずもない。
捨てることにきっちりと覚悟が決まったのは、
これが分かったせいかもしれない。
過去を懐かしむ何を残したところで、
すでに私は別人になっている。
あの頃の颯爽とした若さも、軽やかな歩みも、
沈欝な気分も、過剰な自意識も、哄笑も、
今の私からははるかに遠い。
だからと言って、老いを嘆きたいわけではない。
年を取らなければ味わえない楽しみがあり、
美しさがあり、
年を取らなければ語れないことばがあるのだから。
ただおじさんはおじさんらしく、
年齢にふさわしいその場所から、
若者に媚びることなく、流行におもねることなく、
年を重ねた者にしか語れないことばを語ればいい。
若者のように振る舞って、
若い時代にしがみつこうとするのではなく、
むしろ年齢にふさわしく
老いつつ成熟していく方が、
ずっとカッコいいんじゃなかろうか。