自宅リフォームにともなう仮住まいも、もう3週間になる。
できるだけ段ボールを開けないように暮らしているため、
手元にある本は小林秀雄「本居宣長」1冊だけだ。
他に読むものもないので、
この本を雑誌のように眺め暮らしているのだが、
これがなかなかよい。
大げさかもしれないが、自然にしみ込んでくるというか、
体の一部として吸収されているような感じがするのだ。
読書百遍、というのはホントらしい。
こんなふうに繰り返し繰り返して読む読み方を
経験してみると、
一日一冊がんがん読む、というようなやり方は、
読書というより
情報収集とでも呼ぶべきものだと分かってくる。
言ってみればそれは、
手間のかかった極上の料理を一口食べては
ぽいぽい捨てるようなやり方に近い。
数多くの情報を取りいれよう、というのではなく、
ただこの1冊だけ、という気構えで臨むと、
読書の味わいはまったく変わってくる。
人とのつきあいと同じように、
この本だけと思い定めた一対一の関係ができてくる
みたいだ。
印刷技術の発達していない時代の知識人たちが、
それほど多くの本を読めたはずはないが、
しかし後世に残る偉大な業績は、
みな彼らから生まれている。
このことは、よーく考えてみた方がいいよね。