子どもの頃の夏休みを思い出すと、
まあ、とにかく暇を持て余していた。
退屈だ退屈だと言いながら、
一日ごろごろしていた。
宿題なんかやる気にもなれず、
朝からずっと高校野球を見ていた。
高校野球がそれほど好きだったわけでもなく、
ただ退屈だったのだ。
あんなに果てしなく続く退屈というものは、
あれ以来味わったことがない。
ごろりと横になったまま、
斜めに差し込んでくる日の光に、
無数のほこりが浮かんでいるのを眺めていたのも
その頃だった。
こんな空気を吸っていたらぼくはきっと死んでしまう、
と不意に恐ろしくなり、
少しの間息を止めたり、
漂うほこりをふーっと吹き飛ばそうとしたりして
いたのを覚えている。
てきぱきと無駄のない生活をしている子どもには、
さぞ愚かなことだろう。
そんな退屈な経験が、
何かの糧になるなど考えられもしないが、
善かれ悪しかれ、
ぼくという人間のどこかには、
あのころの退屈によってでき上がった部分が
今でも確かに残っていると思う。