あの。勘違いかもしれなんですけどね。
ここんところ、いろいろなところで、だんだん
物事の決められ方が単純になってきているような気がするんですよ。
話し合って複雑な物事を何とかして行くってことが
軽んじられているんじゃないか。
押し切る/押し切られるという関係を、
話し合いと称しているんじゃないか、とか。
とくに政治に関する報道を見ていると、そういう気がして
なりません。
甲と乙が両立し難いとき、第三の可能性を模索するのではなく、
はやく白黒はっきりさせた方がいい、
だったら力ずくで相手をやり込めちゃうのが一番いい。
もしそんな考えがはびこっているとしたら、
それはまあ、なんと殺伐とした、危うい世界でしょう。
議論に勝つということは、
自分が最初から手にしていた考えを、
結局そのまま、もう一度手にするということにすぎません。
つまり、勝つことを目的にする議論では、
議論をしても、何も新しいものは生まれない。
こういう不毛な経験を続けると、ますます言葉のやりとりが、
無力なもの/不要なものに思えてしまうことでしょう。
ま、物事は常に、正邪ではなく力関係で決まるのだ、
なんて言われれば、そりゃそうなんですけどね。