ページをめくるのにいちいち指をなめるのは、
まったく品がない。
頭を掻いてフケをばらばら落したり、
ところ構わず唾を吐いたり、
くちゃくちゃと音を立てて食事をしたりするのと同様、
子どものころから大嫌いだった。
渡した本でべろりとやられた日には、
貸したハンカチで鼻をかまれたくらいにショックで、
もうその本は二度と手に取れなかった。
そういう輩とは、ともに天をいただかないと
固く思い定めてきたものだった。
しかし、自分がおっちゃんになってくるにしたがい、
ことはそう単純ではないことが分かってくる。
品があるとかないとかという問題ではなく、
指をなめでもしないことには
何かと困るようになってきたのである。
辞書を引いたり、
スーパーのポリ袋の口を開けようとしたり、
お札を数えようとしたりするとき、
指先はあたかも指紋を失ったかのごとくすべってしまう。
挙げ句におつりの千円札を、数枚余分に渡してしまった
ことも1度や2度ではない(って0度ね)。
たしかに指をなめるかわりにさりげなく鼻のアブラで
代用する手もないではないが、
でもそれは、目くその代わりに鼻くそを使うようで、
姑息なだけに余計みっともないようにも思える。
ああ乾いてしまった指先よ、指先よ。
あの白魚のようだったおまえが、
かくもがさがさになってしまうとは。
そのくせ、顔には脂が浮いているとは、
これはいったい、どうしたことだ。
もしかしたら人間のもつ体表の脂やら水分やらといった
保湿成分の量は一定で、
子どもの頃にはそれが指先に集中しており、
加齢とともにおでこや鼻の頭に移る、ということなのか。
これはちょうど、
井上ひさし氏が「ブンとフン」において指摘された
「体毛不変の法則」
すなわち「禿げた人はヒゲが濃く、
髪の多い人は体毛が薄く、
体全体としてみればヒトの毛の総数は不変である」
という大仮説と、奇しくも軌を一にする。
おお、精妙なる自然よ。不可思議なる統一よ。
精妙ついでにここらでいっちょ、
右手の指先だけ汗かきってわけにはいかないか。
歳を取るのは仕方がないが、
もうちょっと格好つけて生きていたいんだからさ。