引っ越しのときの大掃除で、
行方不明になっていた単眼鏡が発掘された。
ばんざい。
これは、仏像を見に行ったり、
博物館に出かけたりするときにとても便利で、
遠くの物を見るときはもちろん、
20センチくらいからピントが合うから、
細かい細工を拡大して見るときにも重宝する。
昨日たまたま中学生に理科を教えていたら、
地層を観察するのに必要な道具を選べ、
という設問があった。
まったく分かり切ったことをきくもんだ。
そりゃ望遠鏡だろう、と答えたら、
意外や答はバツだった。
なぜなぜ、ほわーい?
本は買って読もうぜー
本は、高い。
本は、場所をふさぐ。
散らかる。
その上、めったに読み返したりしない。
だから図書館で借りるんだ。
そうすれば、お金もかからないし、場所もふさがない。
たとえハズレを引いても、損をしない。
ぜったい自分じゃ買わない本に、
思わぬ拾い物があるかもしれない。
借りてみて、面白かったら買えばいいじゃないか。
って言われれば、
たしかにそのとおりなんだけどねー。
しかし、
人によってさまざまなのかもしれないが、
ぼくは本というのは、
やっぱり買わなきゃいけないと思う。
書棚に並んだ背表紙を眺めているうちに、
なぜかしら本の存在が迫ってくるようなときがあり、
その一瞬の気の高まりをとらえて、
さっと手に取る。
そんな瞬間がないとなかなか読めない本も多いし、
何よりも簡単に読める状況にないと、
本に親しむことは難しい。
ぼくたちがテレビをよく観るのは、
なぜなのか。
おそらく面白さだけではなく、
リモコンひとつでごく簡単に観ることができる、
という事情も大きいだろう。
同じように、
読書の習慣をつけるということは、すなわち、
すっごく読みたいわけではないのに読んでしまう、
という習慣をつけることだから、
図書館に出かける、なんていう面倒くさい手続きは
できればない方がいい。
ちょっと手を伸ばせば本が取れる、
というカンタンさがきわめて重要なのだ。
今読んでいる本は、
買ってから読み始めるまで何ヶ月もかかった。
どのページも傍線でいっぱいである。
風呂で読んだりするからぼろぼろである。
よく分からないから何度も同じところを読み返し、
上巻だけでかれこれ1ヶ月である。
こんなこと、図書館の本でできるだろうか。
ちょいと散歩に
教室から歩いて十分もかからないところに、
大きな公園がある。
今日は天気も良かったし、
遠足に来た幼稚園児や小学生でいっぱいだった。
明るくにぎわう公園をそれて、
雑木林の中を歩いてみた。
暑い日だったけれど、
林の中は薄暗く、ちょっと涼しい。
花もつけないただの葉っぱも、
よく見ると、きれいなものだよね。
字のじょうずな子がいた
大坪くんと同じクラスになったのは、
小学校の3年生か4年生のことだった。
大坪くんは字がきれいだった。
先生も友だちも、みんながほめた。
ほんとうに字がきれいだね、と
言われているうちに、
大坪くんはますます丁寧に書くようになった。
ていねいに、ていねいに。
ゆーくり、ゆーっくり。
とうとう大坪くんの字は、
ゆっくり書きすぎて、
ぷるぷる震えるようになってしまった。
きれいに書こうとすればするほど、
ぶざまに震えてしまうのだ。
子ども心にも、あれはちょっと怖かった。
大坪くん。
人はね、君が思っているほど、
君のことなんて気にしていないんだよ。
誰かがそう言ってやればよかったんだろう。
ぶんぶんぶん
連日の引っ越し準備で疲れ果てたので、
弁当を持って、ちょっと気分転換。
万博ですっかり変わってしまった青少年公園には、
不思議なくらい撮りたいものがない。
植えたばかりの木がひょろひょろ立っていて、
芝生広場は人工芝。
280円もするカレーパンは、ひどくまずかった。
それほど歩いてもいないのに、ずいぶん疲れてしまった。
そのくせなぜか、気分は上々。
やっぱり外に出るのはいいね。
のろし
ほらほら、のろしみたいだろって声をかけたら、
のろしって何?って言われた。
そうだよなあ。
今の子は、のろしなんて見たことないもんなあ。
ってか。
雨のち曇のち晴のち雨のち晴のち
変な天気だ。
きょうは小学校は遠足。中学校は写生会。
薄日が差して何とか持ち直すかと思ったら、
突然のどしゃ降りだった。
あれじゃずぶ濡れだったろう。
雨がやむと、公園の白い花がきれいだった。
写真を撮っていたら、
白髪のおばさまに声を掛けられた。
ナンジャモンジャですかね。
雨上がりはきれいですねって。
自制心なし。
どちらかというと、
気に入った服は毎週着て、
気に入ったビデオは何度も見て、
気に入った曲は毎日聴く、というような
自制心のない楽しみ方をする方だ。
2、3年前だったか、
ザ・バンドの「ラストワルツ」を毎日毎日
推定百回以上見続けたことがあるが、
今のお気に入りは、チョン・キョン=ファの
弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
これもまた毎日毎日まーいにち聴いているから
おそらく50回以上にはなるだろう。
で、これからどうなるかというと、
あんまり聴きすぎて、
ある日突然飽きてしまうことになる。
そしてこの飽き方たるや大変なもので、
ほんの少し耳にするだけで
ぶちっとスイッチを切ってしまうくらい、
とことん嫌になってしまうのだ。
そういう末路が待っていると知りつつも
やめられない。
やっぱり自制心がないんだろうなー。
やや故障気味
小さなことといえばそうなのだが、
数日前から少し手がしびれている。
ネットで調べると、中年おやじにはありがちなことで、
どこかで神経が圧迫されているとかいないとか。
いや、別に体の不調を訴えようとか、
体の不調と書いたら「体の婦長」と変換されて
おかしかったとか、
そういうことを言いたいわけではなく、
ただ人の体というものが実に精妙なバランスの上に
成り立っていることに今更ながら驚き、
同時にこの奇跡のようなバランスを
当たり前のように見なして、
明日も無事健康でいることを疑っていないというのは、
まあなんとも危なっかしい話だなあ、と思っただけだ。
まったく、この体にどのくらいの神経が走っているのか
知らないけれど、
どんなコンピュータよりも複雑で高度な働きをする装置が、
何十年もほったらかしにされていながら、
暴走もせず、そこそこまともに働き続けていることは、
奇跡と呼ぶにふさわしい。
こんなすごいものをつかまえて、
”めちゃくちゃな変化を繰り返しているうちに偶然できたもの”
なんて言われても、どうもピンと来ないんだよなあ。
やっぱりこればかりは、神様のわざと信じたい。
連休は出かけよう
ゴールデンウィークが始まった。
教室は平常通り開けているが、たいへんお休みが多い。
まったくけっこうなことである。
休みの日に家族で出かける、というのは素晴らしい。
何しろ、おとうさん、おかあさん、子どもたちが
皆そろって出かけることができるのは、
家族の歴史の中でもごく短い間だけなのだ。
中でも親が子どもの世話をする、のではなく、
一緒に楽しむ、ことができる機会はおそらく何年も
続くものではなく、もしかしたら、
3度4度と数えられる程度なのではないだろうか。
さっきお昼を食べに出たら、
ミカコちゃんがお出かけするのか、クルマの窓から
「せんせー」って手を振ってくれた。
ゴールデンウィークは、
引っ越し準備でそれどころじゃないのだけれど、
何だか無性に出かけたくなった。