試験の前の勉強しなくちゃいけないときになると、
妙に部屋を片付けたくなったり
無性に本が読みたくなったりしませんでしたか。
実は明日の授業の準備がなかなか進まなくて、
このままじゃろくに寝る時間も取れないと知っていながら、
ああ、わたしは何を書いているのでしょう。
そういえば、今日はこんなことがありました。
小学校2年生の男の子を教えているとき、
わたしはトイレに立ったのです。
そしたらまだ文字通り手が離せない状況のときに、ですよ、
その男の子が、「せんせい、せんせいっ!」って、
まあ、大変な勢いでドアをノックするじゃありませんか。
おお、電話か、それともお客さんか、とわたしも慌てまして、
急いでことを済ませて出たところ、
「せんせい、さっきのもんだい、できたよっ」ってさ。
おや、こんなこと書いている場合じゃありませんでした。
これじゃいつまでたっても寝られません。
じゃ、仕事しますね。
そうそう、もうひとつ、
今日近所のパチンコ屋が新装オープンしたんですけど、
その開店祝いの花輪をチェックしてみたんですよ。
きれいにラップがかかっていて、
おお、こりゃ取られないようにしているな、
とは思っていたのですが、いや、それどころじゃ
ありませんでした。
よく見たら、なんと造花なんですよ。
お祝い事に何度も造花を使い回すとは、
どうにもしみったれた話じゃありませんか。
そうそう、それにね…
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だいすき
えっと、きのうの絵馬ネタは、ただ「かないあんぜん」が「かなりあんぜん」に見えておかしいよなー、ってなことが言いたいわけではなかった。いや、もちろんそれもあるけどさ、それだけじゃないんだってばさ。
書き始めたら眠くなってしまったため、取りあえずアップしちゃったのだが、あれはいけなかった。
ぼくが言いたかったのはだね、小さい子が字を間違えるのはいいんだけど、この子が全然自分の言葉じゃなく、大人に言われたことをただ書いているってカンジが何かイヤってことなのさ。だいたい、「い」と「り」を書き違えるような子どもが「家内安全」だの「五穀豊穣」だの書くか、ふつう。
もうちょっと子どもらしい、こどものアタマそのまんまの願い事を書いた方が、きっと神様も喜ぶと思うんだ。こんなカンジにさ。
安全への願い
ハンパな安全じゃ、満足できないぜ。
聖林寺のディープな人たち
今日からALPはなぜか夏休みである。
今朝は睡眠3時間でぱっちり目が覚めた。
遠足の日の小学生と同じレベルと言うなら言え。
で、聖林寺に十一面観音を見に行った。
いやあ、じつにじつに素晴らしかった。
どの写真で見るよりも、ずっと柔らかく美しかった。
仏像にも写真写りってもんがあるんだねえ。
たったひとつの仏像の前で、気がつけば1時間半も経っていた。
その間に来た人は、わずかに4組。
しかし、数は少なくとも、交通の便もひどく悪いこのお寺に
わざわざ来るというのだから、
みなさんそれなりの思い入れ持っていて、これがまた強烈だった。
カルチャーセンターのツアーとおぼしきご一行は、
先生の解説を聞きながら、なんてきれいな仏さまだろうねえ、
なんて言い合っている。はたで聞いているだけでも
こういうのは気持ちがいい。
そのあとにひとりでやってきたおばさまは、
先代の住職のころからの常連らしく、
いついつの法要の時にはこんな様子だったんですよ、
なんてことを話してくれる。
あまり詳しいからてっきり近所の人かと思っていたら、
なんと福岡にお住まいだとか。
横浜から来た夫婦連れは、ごく普通の方ながら、
それでも今日で4回目だという。
最後に来たのは、
この仏像の失われた光背の研究をしている、という人。
文化庁の要請でここはこうやって修復したが、
この台座のもともとの形はもっとここがふわっとふくらんで
いたはずだ、なんて話を教えてくれる。
ひとりでじっと見ていた時間もよかったけれど、
あの人たちのディープな話も、おもしろかった。
やっぱ仏像って、いいわ。
ひと安心
他のパソコンで確かめたら、
本家のサイトは異常なく表示されていた。
やれやれ。
それにしても、パソコンなしには過ごせないような
暮らしをしているくせに、
ちーともパソコンのしくみを理解していないというのは
怖いような話だ。
もっとも、まったくクルマのしくみを理解しないでクルマに乗り、
まったくクスリの成分を知らずにクスリを飲むようなありさまは
今日では当たり前と言えば当たり前なんだろうけど。
やってしもた!
本家ALPのサイトを今より安い場所に引っ越ししようとしたところ、
ちょっとした手違いと言いますか、その、何だ、
まあ要するに、ページがまったく表示できなくなってしまいました。
サイトのURLを指定すると、リンククラブのページに飛んでしまいます。
一時的なことだと思いますが(だといいのですが)、修復まで
いましばらくお待ち下さいまし。
別に閉鎖しちゃったわけではないので、
ヘンなことを言いふらさないでくださいね。
めそめそ。
歩く抜け殻
おとといの夜、歩道をのそのそ横切っているところに遭遇した。
はっきり言って虫は大っ嫌いなのだが、
不覚にも、見入ってしまった。
今年はまだ蝉の声を聞いていないから、
あるいはコイツが一番乗りかもしれない。
しっかり鳴けよ。
立ち読み禁止
いいのよっ、おばちゃんは。
七夕の願い
むりだと思う。
物覚えが悪くても
四十を過ぎれば当たり前だが、
ちょっとばかり記憶力が衰えてきたようだ。
これは筋力が衰えたり、視力が衰えたりするのと同じで、
しごく自然な成り行きなのだけれど、
若い溌剌とした時代が、生きている限りもう2度と
訪れないかと思うと、軽いショックを覚えもする。
で、最近は、衰え行く記憶力に活を入れるべく、
パソコンと携帯電話でもって、
役にも立たないことを覚えては遊んでいる。
すなわち、
青空文庫あたりで気に入ったテキストを拾ってコピーして、
メールでケータイに送っておくのだ。
すると携帯電話は、
いつでも見られる単語カードのように機能する。
これは、すこぶる便利である。
教室までの行き帰りを、ちらちら見ながら歩く。
ぶつぶつ口に出してみる。
銀行や郵便局で待つ間も、
メールをチェックするように
気に入った詩を少しずつ読んでいる。
先週はこの方法で、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の
「ああ大和にしあらましかば」を半分おぼえた。
ああ、大和にしあらましかば、
今神無月、
うは葉散り透く神無備(かんなび)の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ
斑鳩(いかるが)へ。
で始まる長い詩である。
詩集を読むだけでは、ちっとも頭に入らなかったが
けっこういける。
萩原朔太郎の詩のいくつかも、メールで送って
入れてある。
「利根川のほとり」とか「桜」とか。
そんなもん覚えてどうするんだ、とは言わないでほしい。
脳を鍛えるトレーニング、などと称して、
まるで無意味な単純計算を繰り返すより、
よっぽどよいではないか。
そもそも詩の味わいは、ただ読んでいるだけよりも、
覚えてしまった方が、はるかに深い。
ま、そんなことはともかくさ、
少しずつでも何かが覚えられるってのは、
なんともうれしいものなのよ。
いいよー、ケータイ。