四十を過ぎれば当たり前だが、
ちょっとばかり記憶力が衰えてきたようだ。
これは筋力が衰えたり、視力が衰えたりするのと同じで、
しごく自然な成り行きなのだけれど、
若い溌剌とした時代が、生きている限りもう2度と
訪れないかと思うと、軽いショックを覚えもする。
で、最近は、衰え行く記憶力に活を入れるべく、
パソコンと携帯電話でもって、
役にも立たないことを覚えては遊んでいる。
すなわち、
青空文庫あたりで気に入ったテキストを拾ってコピーして、
メールでケータイに送っておくのだ。
すると携帯電話は、
いつでも見られる単語カードのように機能する。
これは、すこぶる便利である。
教室までの行き帰りを、ちらちら見ながら歩く。
ぶつぶつ口に出してみる。
銀行や郵便局で待つ間も、
メールをチェックするように
気に入った詩を少しずつ読んでいる。
先週はこの方法で、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の
「ああ大和にしあらましかば」を半分おぼえた。
ああ、大和にしあらましかば、
今神無月、
うは葉散り透く神無備(かんなび)の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ
斑鳩(いかるが)へ。
で始まる長い詩である。
詩集を読むだけでは、ちっとも頭に入らなかったが
けっこういける。
萩原朔太郎の詩のいくつかも、メールで送って
入れてある。
「利根川のほとり」とか「桜」とか。
そんなもん覚えてどうするんだ、とは言わないでほしい。
脳を鍛えるトレーニング、などと称して、
まるで無意味な単純計算を繰り返すより、
よっぽどよいではないか。
そもそも詩の味わいは、ただ読んでいるだけよりも、
覚えてしまった方が、はるかに深い。
ま、そんなことはともかくさ、
少しずつでも何かが覚えられるってのは、
なんともうれしいものなのよ。
いいよー、ケータイ。