近ごろなかなか忙しい。
忙しいといったところで、
朝8時半ごろから教室を開けている、
というだけのことなのだけれど、
夜のお仕事に慣れている身には、
なかなかしんどいことである。
それはともかく、
生活のリズムが変わると困ったことがある。
翌日に備えて早寝をしてしまうため、
ちっとも本が読めないことだ。
一日せいぜい30分である。
しかし時間が限られていることが幸いしてか、
集中力はことのほか高い。
読むのはもっぱら小林秀雄。
この人の文章は、決して読みやすくない。
読みやすさ、分かりやすさをよい文章の条件だとすれば、
いっそ悪文といってもいい。
30年くらい前に大学入試に好んで使われたのは
そのためだろう。
一読してすっと頭に入るようには書いてくれない。
彼が辿ったであろう思考と連想の道筋を、
文と文の間から読みとらなくてはいけないから、
寝そべって読むようなわけにはとてもいかない。
こうした彼の文章を、
論理的でないと嫌う人は少なくないが、
しかし、すらすら読めないからこそ、
立ち止まったり、ふり返ったり、
足もとを見つめたりするのだし、
そうすることで書き手の視線が自分の視線となり、
書き手の呼吸が自分の呼吸となるような
至福の瞬間が訪れるのだと思う。
彼の作品を読んでいると、
彼のいう「胸中の温気の熱さ」に充たされてきて、
今日の学者先生たちの書く正しいだけの冷たい文章が、
実に味気ないものに思えてくる。