ぼくが若かった頃、
今と同じように若いモンは軽薄だったし、
これといってまともなことなど考えずに生きていたものだが、
それでも、前の時代の残滓のようなものは
まだそこかしこに見つけることができたような気がする。
あのころは、親も学校の先生も、
戦争の時代を生きてきた人たちだったから、
もう少し、人生というものを考える雰囲気は残っていた、
なんていうのは思い違いだろうか。
死の影を忘れてしまったためとは言わないが、
今の時代には、もう「いかに生きるべきか」なんていう
青臭い問いは、どこにも残っていないように見える。
代わって座を占めているのは、
「どういう選択が社会的経済的に有利か」という意識である。
これはこれで真剣な問いに違いないが、
少しも美しいものではない。
もちろん、
人生の意義は自分のために功利を追求することにある、
という考えはあってもよいのだけれど、
そうした人生観が、出版や放送や教育の場で、
さも天下の公論であるように語られると、
寒々しいような気持ちがする。
社会的に成功することは
素晴らしいことのひとつであるには違いない。
しかし自分の人生の舵取りが、
組織の経営と同じ意識でなされるだけだとしたら、
世界はなんて寂しいだろう。