さよなら、ピカソ

岡崎の美術館に、ピカソを観に行った。
青々とした広い公園の斜面に立つ美術館は、
前に来たときからのお気に入り。
子どもたちに見せたかったのは、
じつはピカソの絵ではなく、
この美術館の方だったのかもしれない。
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ピカソの絵は、グラフィックアートとしては
けっこう好きだ。
キュビズムに行く前の青やバラ色の時代もよい。
ていねいに構築された作品は、
いくら解体されデフォルメされていても、
それはある必然性のもとにその形をしているように
見えて、やはり美しいと思う。
でも今日の展覧会はまるっきりダメだった。
もちろん大天才のピカソがダメなはずはないから、
駄目なのは、ぼくの方に決まっているのだが、
今日の駄目ぶりは、ちょっとつらかった。
ここ数週間、ずっとゴッホの手紙を読んでいるのが
いけなかったのだろう。
不遇というにはあまりにむごいゴッホの生涯がちらついて、
あふれんばかりの富と名声を得たピカソの華やかさが、
ねたましくて仕方がなかった。
芸術家というよりも、社会的な成功者としての
ピカソを見てしまった。
そうなると、もういけない。
虚心に絵を眺めることなどできるはずもなく、
ちゃっちゃと描いた作品も、
つぎつぎと女性を遍歴する暮らしぶりも、
得意げな顔の写真も、
みんな腹立たしく思えてきてしまう。
もやもやした気持ちを整理できないでいるうちに、
ピカソはもういいや、というよりも、
とうとうピカソはもういやだ、くらいの気分に
なってしまった。