口内炎によせて

非常に個人的なことなのですが、
口内炎が4箇所もできてしまって憂鬱です。
こんなことは四十有余年生きてきた中でも記憶がなく、
いや、記憶がないこと自体はいつものことなんですが、
とにかく痛いししゃべりにくいし気になるしで、
もう頭の中の半分くらい、
つまり現在のわたしにとっての世界の半分くらいは
口内炎でいっぱいなのですが、
それなのに、わたし以外のすべての人にとって、
わたしのこの口内炎は他人ごとなんですよね。
こんなはっきりした実感を
わたし以外の誰も感じていないだなんて、
何だか驚きです。
みなさんが平気でいらっしゃるということが、
にわかには信じられない気持ちです。
まったく世界というものは
わたしとわたし以外のもので構成されている
ということが痛いほど、
いや本当に痛いんですが、
痛いほど実感できてしまうわけで、
こうした本源的な孤独の中でですね、
口内炎という内部と外部の狭間のようなところで、
わたしの一部でありながら
わたしではない異物として存在するこいつと
サシで向かい合うという経験はですね、
自己の中に他者を見、
他者の中に自己を見る瞬間の、
そのあわいにおける存在の明滅がですね、
あるかなきかの統一の可能性を暗示している
ということをですね、
真面目に読んでいる人には悪いんですが
このあたりははまったく意味のない叙述なわけで、
こんなことを書いてしまうのは、
みな口内炎のせいであることは言うまでもなく、
とすれば口内炎はわたしの行動を、
いやもしかしたら
わたしの人格そのものを決定づける力を持って
いるわけで、
それはすなわち今やわたしの意思や思考や感情は
その相当の部分が口内炎の支配下にあり、
わたしはわたしでありながらわたしではない
まるでゾンビのような存在に成り下がってしまった
ということになるのでしょうか。
わたしはこのちっぽけな口内炎に屈し、
かのものに操られるまま生きていくしか
ないのでしょうか。
ああ無念です。残念です。
さようなら、わたしの理性、
さようなら、わたしであったわたし。
おおこうして、ひらがなで重ねて書くと、
わたしはまるでたわしのようです。
わたしたわしわたしたわたしか。
私、タワシ渡したわ、確か。
おお、なかなかいいじゃないですか。
ほとんどゲシュタルト崩壊ですね。
これもみな口内炎のせいです。
ああ、ああ、口内炎め、この、口内炎め。