名古屋弁のイントネーションは独特である。
これは名古屋の言葉に限ったことではないが、
土地の言葉のイントネーションというのは、
まずヨソの人には真似ができない。
テレビドラマで使われる方言もどきに、
ちがうちがうと叫んだ経験のある人は多いだろう。
「ありがとう」のイントネーションは、
標準語では「熊五郎」と同じ、
関西ではしばしば「この野郎」と同じだが、
名古屋のそれは韓国料理の「サムゲタン」に近い。
今の子どもはどうだか知らないが、ぼくは小学生の頃、
自分の「ありがとう」が訛っているなんて思ってもみなかった。
小学校の6年生まで、テレビなどで聞く「ありがとう」は
たとえば「きみ、やめたまえ」と同じく
現実には使われない放送用の擬似言語だと信じ込んでいたし、
担任のヤマダ先生に
「ありがとうは、ありがとうではなくて、ありがとうと言うのよ」
と教えられたのだけど、
何度か練習しても、ありがとうみたいな言い方しかできず、
ついには「そんなのできるわけがない」と
言い返してしまったくらいである。
今では、とくにここ名東区では転勤族が多いせいもあって、
名古屋弁を使う人が本当に少なくなった。
ぼく自身ずっと昔に方言を捨ててしまったひとりだけれど、
ちょっとだけ、子どものころの
「ありがとう」を言えなかった昔を懐かしく思うときもある。
寺山修二の
「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」
という歌になると、
大学生の頃をリアルに思い出してさすがにつらいんだけどさ。