昨日取り上げた「履修させないでごまかしちゃった事件」
について書かれたものを読んでみると、
そんなことする高校はけしからん、
という論調が圧倒的に多い。
新聞は、社会に役立つ人材を育てるための指針を
無視した責任は大きい、なんて書いているし、
学生が世界史的事件についてこれほど無知な理由が
分かった、という大学の先生もいる。
履修のごまかしが、とくに世界史に目立つからだ。
でも、今よりましであるはずのちょいと昔には、
必修科目は意外なほど少なかった、
という事実を指摘しないのはどういうわけだろう。
たとえば1982年から実施された指導要領では、
社会科の必修科目は「現代社会」1科目しかなかったし、
それ以外の年の指導要領も、
いくつかの科目から選べる選択必修ってな形で
定めてきたものだ。
今のように世界史が必修科目になったのは
平成4年以降、ついこの間のことである。
そういうことを考えあわせると、
そもそも世界史を全員に必修にする必要があるのか、
文科省がそこまで統制しなくちゃいけないのか、
という議論があってもよいと思う。
ぼくとしては、以前は教育を現場に任せようという
大らかな方針が取られていたのに、
近年になって一元的に管理しようという方向に
大きく転換してしまっているこのことが、
いちばんの問題じゃないかと思っている。
だいたい、いくらズルをする学校が多いといっても、
何たって必修なんだから、
昔と比べれば世界史を教える高校はずっと増えているわけだ。
それでも若者の歴史感覚が
それ以降著しく向上したとは聞かないし、
むしろ「世界史的事件についてあまりにも無知」と
まで言われてしまう体たらくなわけだろう。
つまり、必修化の成果はまったく表れていないっ
てことなんだよね。
このように、
何を教えようが試験が終わればきれいに忘れる、と
いうのが標準的な高校生の姿であることは、
今も昔も変わりはないわけで、
にもかかわらずとにかく履修させようっていうのは、
何かちょいとズレているような気がしてならない。
けっきょく、この騒動で見直すべきは、
高等学校のあり方なんかじゃなくて、
むしろこれまですべての教育改革に失敗してきていながら、
なおも現場をコントロールし続けようとする文科省のあり方、
なんじゃないかと思うし、
そもそも世界史を必修にしようと考えたのは、
例によって世界史を教えれば国際理解が進むっていう
素朴な発想なんだろうから、
まずはこっちの方から議論し直してほしいものだよね。