ちにくなはなし

Dという有名な国語の先生がいる。
著作が多いこともあって、
受験生の間ではいちばん有名な先生のひとりだろう。
いつだったか、この人のCD講義を聞いてみたら、
「こうして学んだことが諸君の「ちにく」となる」なんて
ことを語っていて、驚いたことがある。
言うまでもなくこれは「血肉」のことだ。
誰でもその程度の思い違いはあるものだから、
そんなことで鬼のヘソでも取ったように騒ぐつもりはない。
(首だってば)
幕間を「まくま」、思惑を「しわく」と読んでしまうくらいの
ことは、珍しくもなかろう。
ここで言いたいのは、
なーんだDなんて有名だけどダメダメじゃん、ということではない。
そんな負け犬の無駄吠え(遠吠えだってば)のようなことではなく、
誰に限らず、
生まれたときから国語が得意で仕方がなかった、なんていう人は、
おそらく国語の勉強なんてしたことがないだろうなあ、
ということである。
だからもしかしたら、国語が得意だった人ほど、
じつはこういう「知っているつもりで間違っている言葉」が
たくさんあるんじゃないか。
ぼくも大学入試のときですら、
おそらく国語は1時間も勉強しなかったクチだが、
得意と思っていたからこそ、
とてもここには書けないような恥ずかしい間違いを
たくさんしてきたものである。
大学生になるまで「節」という字は竹かんむりの下に
「郎」ようなテンを付けると思っていたし、
版図を「はんず」と読んでいたし、
「母」の書き順も違っていたし、
カタカナの「ヲ」の書き方なんて、ついこの間まで
知らなかった。
こういうことは漢字の勉強をしていれば、
おそらく確実に避けられることである。
つまりこれは、
おれは国語が得意だもんね、なんて慢心している人よりも、
苦手と思ってこつこつ勉強している人の方が、
やがては正しい言葉を使えるようになる可能性が高い、
ということである。
アリとキリギリス(ウサギとカメだっでば)の教訓は、
いまだに古びてはいないのだ。
おまけ:
血肉(けつにく)、幕間(まくあい)、思惑(おもわく)、
版図(はんと)、ヲの書き順/よこよこななめ。