国を愛せと言われましても

一昔前には祝日は「はたび」と言われ、
あたりまえに国旗を掲げたものだったが、
近ごろではそんな光景はごく珍しくなってしまった。
そういう現状を踏まえてか、
いま国会では、教育基本法の改正が進められている。
なんでも改正の目玉は「愛国心」を教えることであるらしい。
ふーん。
賛否はいろいろあるようだが、ぼくとしては、まあどっちでもいい。
教育の憲法、と言われる重要な法律だということは知っているが、
何ごとかを愛するように教育する、ということ自体、
そもそも無駄なことだと思うからだ。
教室で教えられたことが、
そのまま生徒の心に染みいるなんてことはあり得ない。
国を愛しているわけでもない教師が語る言葉であればなおさらである。
そもそも愛というのは自分の意志とは関係なく発動しちゃうものであり、
止められたって愛するか、脅されたって愛せないか、
どちらかに決まっている。
こういうことは、権力による強制に馴染むものではない。
もし本気で国を愛する心を育てたいと思うのなら、
教育という枠を踏み越えて、洗脳するしかないだろう。
終戦までの為政者が、事実そうしてきたように。
ま、仮に洗脳だとしても、自分の国が嫌いになるように仕向けてきた
ここ何十年かの「教育」よりは、まだマシなのかもしれないし、
無秩序な自由よりも秩序を保った不自由の方が
もしかしたら幸せなのかもしれないから、
試みとしては必ずしも無意味だとは思わないけどね。
とりあえずに自衛策として、
教育は、国家が国民を統制するための行為でもあるという事実を、
もう一度思い出しておこう。