ダヴィンチコードの謎

「ダヴィンチコード」を観てきた。
この作品にはなぜか惹かれるものがあって、
邦訳も原書もピクチャーブックも朗読CDも
持っているくらいだから、
いくら流行りものとは無縁といえど、
観ないわけにはいかない。
映画の方は、
ぼくはストーリーよりも風景に浸ることの方が大事だから、
古い景色をもっとたくさん映してくれればよかったかなあ
とは思ったけれど、とりあえず、
原作の面白さを再認識した、とだけ言っておこう。
さてこの映画、封切り前から大いに話題になったものだが、
連日報道された、世界の各地で抗議行動がわき起こった、
というのがどうも分からないねー。
これまでだって、あの手の話はいくらでもあったのに。
だいたいあの内容に本気で目くじらを立てるのは、
「猿の惑星」を観て「人間を冒涜している」と騒ぎ、
「一寸法師」を読んで、
「そんな小さい人間がいるはずがない!」
と激高するようなもので、
ふつうはそんな大人げのないことはしない。
たしかにわが秋津島大和の国は、
源義経が大陸に渡ってチンギスハンになり、
楊貴妃が山口県あるいは熱田神宮に眠り、
何よりキリストが青森県で大往生をとげた
特別な国ではあるが、
かような背景を持たない夷狄といえども
その程度の道理はわきまえているのではないか。
イエスの聖性を貶め、
大衆に誤った印象を与える作品は許せない、
という気持ちは分からないでもないんだけど、
本当に抗議しなくちゃいけないのは、
いかにも荒唐無稽な本作ではなく、
一見よさげな「パッション」みたいな作品なんじゃ
ないかとも思うし、
そういえば、かの「ハリー・ポッター」も
おぞましい魔法を礼賛する作品として
キリスト教の皆さんからは槍玉に上がっていたはずだが、
こちらはちっとも報道されない。
そんなことを考え合わせると、
どうも一連の「抗議行動」とその報道は、
誰かが仕掛けた巧妙な宣伝だったように思えるんだけど。
気のせいでしょうか。