近ごろぼくは、独り言を言う。
別に、もうろくしたわけではない。
おお、ひどい雨だな、とか、
いやあ、驚いたなあ、とか、
しまった、だめじゃん、とか、
そんなことを、
わざと口に出して言ってみるのだ。
すると不思議なことに、その言葉は、
それがどんなものであれ、
頭の中で思っていることとは、
似て非なる、あるいは
似ても似つかないものに感じられる。
いやあ驚いた、と思っているときと、
いやあ驚いた、と口にしたときとでは、
同じ言葉の手触りが、まるで違うのだ。
口に出して聞こえる声は、
自分からのものではなく、
どこか他人から発せられたようである。
ちょうど自分の耳に聞こえる声と録音した声とが、
まるで違ったものに聞こえるように。
ウソだと思ったらやってごらんなさい。
思っている通りのことをそのまま口にしても、
全然本心とは感じられないはずだ。
何を言っても棒読みのセリフのようで、
自分の心ではない別のところから湧いて出たような、
妙な違和感が残るだろう。
このとき感じる「言葉のリアリティのなさ」は、
ちょっと衝撃的ですらある。
言葉の力、なんてフレーズがよく使われるが、
こうやって、他ならぬ自分の発した言葉によって、
確かだったはずの実感が危うくなってしまうのを経験してみると、
言葉は大切だよね、などという分かったようなセリフを
安易に信じてはいけないような気がしてくる。
言葉はぼんやりしたものにはっきりした形を与える力とともに、
ぼんやりしたはかないものを台無しにしてしまう力もあるのだ。
面白いことに、口に出すかわりに文字で書いても、
こういう違和感は感じられない。
文字は初めから外部にあるものだからなのかもしれないし、
音に比べて生々しい存在感が薄いためかもしれない。
メモ帳代わりにボイスレコーダーを使うような人たちには、
こんな感覚はないのだろうか。
嘘くさいとか、空々しいとか、
そんなことは感じないのだろうか。
ことばに出して言ったとたん、
自分を包み込んでいたぼんやりとした空気が解けて、
それまでのわたしが、さあっと雲散してしまうような感覚を
感じたりはしないのだろうか。