暗い夜道でひとりになったら、
携帯電話で話しながら歩くとよい、と聞く。
犯罪者の心理を想像すれば、なるほどそうだろう。
実況中継されながら、危害を加えようとは
考えにくいに違いない。
ところがねー。
話す相手もなくひとり芝居で話せるかっていうと、
これはとてつもなく難しい。
あらかじめ用意したセリフをしゃべるならいざ知らず、
自然な会話をひとりでする、なんてことは到底できない。
やっぱり言葉は相手がなければ生まれないものなのだ。
自分ひとりで言葉を生み出すことは、なかなかできない。
人はひとりでは何もできない、
なんてことはよく言われるけれど、
この何もできない、ということの示す範囲は、
ぼくたちが普通に思っているよりも、ずっと広い。
ひとりでは仕事が進まないとか、食べ物も手に入らないとか、
学校に行くこともできないとか、そんなことばかりではない。
ひとりでは、笑うことも、怒ることもできないのだ。
誰かと話をするだけで、そのことがよく分かる。
そこで話していることは、どこをとっても
ひとりでは決して語れない言葉ばかりだ。
相手の相づちや表情ひとつで、
自分の語ることはどんどん流れを変えてゆく。
そのおかげでひとりでは思いつかないような考えが浮かんだり、
自分で知っていることすら忘れている言葉があふれてきたりする。
ときには窮屈な思いをしたり、嫌な気分になることもあろうが、
それもまた、ひとりでは味わえないことである。
ほかにもある。いくらでもある。
そんなひとつひとつを思い出せば、
今日までわたしはひとりで生きてきた、なんていう
かっこいいセリフは、とても言えなくなるだろう。
合わせるか、反発するかは問題ではない。
他者との関わりの中にしか、私はいない。
こんなかんたんなことが、最近ようやく分かりかけてきた。