「志賀直哉はなぜ名文か」という本には
ちょっとくらくらきた。
「日本語大シソーラス」を編纂した山口翼が、
志賀直哉のすごい文章を精査し、拾い上げ、分類し、
簡単な解説とともに並べて見せてくれている。
すごい文章、なんていうとまるで齋藤孝を真似している
みたいでイヤなのだが、
だって実際、改めてみると、志賀直哉って人はすごいのだ。
ぼくが志賀直哉を読んでいたのは小学生の頃だから、
子どもが知らない人に寿司を食わせてもらうとか、
蜂がだんだん死んでいくとか、
清兵衛くんはひょうたんが大好きだとか、
そんな話のどこが面白いのかまったく分からなかった。
ずっと経ってからも、
志賀直哉自身が朗読している「暗夜行路」を聞いて、
つっかえつっかえ棒読みしているさまを笑ったりするくらいで、
まともに読み返す気持ちになったこともない。
ところがねえ。
志賀直哉の文章は、ほんとうにすごいのだ。
短編小説の神様、なんて言われる構成の妙は知らないが、
こと表現に関しては、まさに名人芸だと思わずにはいられない。
もっともそうした達意の表現であっても、
自分で小説を読むだけならおそらく何気なく読み過ごして
しまうだろう。
山口氏が丁寧に拾い上げ、額に入れて見せてくれたために
はじめて気がつくすごさである。
「浮かれた気持ちを不意に叩かれた妻は
調子のとれない不安な顔をして、脇へ来て座った」
なんて、
気取りや工夫の跡さえ見えない書き方だけれど、
そのままの情景がありありと浮かんでくるじゃないか。
もしかしたら志賀直哉って、
今でもまだまだ読まなきゃいけない作家なのかも知れない。