はやりのよいこと

思い起こせば数年前、
「ヘブンズパスポート」というのがはやったことがある。
パスポートを模した冊子に願い事を記し、
何か「よいこと」をするたびにシールを貼っていき、
シールが百個たまったら願い事がかなう、
というグッズである。
覚えている人もいるだろう。
そこでいう「よいこと」というのはまことに他愛ない
ものだった。
倒れていた自転車を起こしてやった。
席をゆずった。
ごみを拾った
という軽いよいことから、
お菓子を食べずにガマンした。
お母さんに呼ばれて返事をした。
宿題をきちんとやった。
というどこがよいことまで、
要するに行動を意識的にコントロールできたらなんでも
オッケーだったようだ。
こういう軽さに対しては、皮肉も批判もいくらでも言えようが、
ともあれこいつがはやっていたころ、
中高生の女の子たちは、自分にできる小さなよいことを考えて、
どんどん実行しようとしていたことは間違いない。
中高生というのは、従順な子どもを脱したい年代だから、
ちょっと悪めの子になってみたいと思いがちなのに、
よくもまあ、あんなことがはやったものだと思う。
正直に言うと、素朴な善意をあまりにも屈託なく表明されると、
どこか小恥ずかしいような、いや、いっそうすら寒いような
居心地の悪さを感じてしまうのだけれど、それでも
世の中に自分と友達しかいないような傍若無人振りを見るよりは、
はるかによいに決まっている。
よいこと系の流行としてひところはやったホワイトバンドも
すっかり鳴りをひそめてしまった。
また何か出てこないかなあ。
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