パチンコ

1ヶ月前にはすでに「営業自粛の要請」と称する強制によって、飲食店も小売店も映画館も旅行業も死にそうな打撃を被っていた。ところがなぜかパチンコ屋だけは、自粛要請の対象から長らく外されていた。誰がどう見ても不要不急の遊戯施設が公然と営業を続けていられるのは、おそらく政治的な利権絡みの案件なのだ、と噂されたのも当然だろう。

それがどういうわけか、ここへ来て突然様子が一変した。東京でも大阪でも自粛要請に従わない店は店名が公表され、パチンコ屋は一転世間の袋叩きに遭うことになったのだ。知事が先頭に立って、どこどこの店は私利私欲のために社会を感染の危険にさらす反社会的な悪徳業者ですぞー、と触れて回り、それが全国ネットでくり返し放送されるのだから強烈だ。とうぜん店には脅迫まがいの電話が殺到し、やむなく店を閉めた経営者は「行政による集団リンチだ」と憤る。手の平をいきなり返した陰には、さぞどろどろした事情があるのだろう。

さて、この件でほんとうに悪いのはパチンコ屋なのだろうか。生活の手段が奪われようとするとき、それに抵抗するのは悪いことなのか?
国内でウイルスのために亡くなった人は今の時点で約四百人。人口比でいうと、30万分の1である。一方、収入がなくなったら自分と家族の生活は確実に破綻する。30万分の30万だ。この現実の重さを忘れてはいけない。

なにしろ店の側としてみれば、営業自粛要請とは、水中でいきなり酸素ボンベを外されたような事態なのだ。つまり「今すぐ仕事は辞めてください。補償はしません」「すでに蓄えがある人以外は生きていけませんが、よろしく」と宣言されたにも等しい。彼らは(そしてわれわれは)備える間もなく広漠たる不安のただ中にぶっ飛ばされてしまったのだ。

誇張ではない。営業の自粛を迫るということは、とりも直さず生きる手段を捨てろと迫ることである。3ヶ月間店を開けられない人たちは、3ヶ月間収入がない。従業員を抱えていながら営業ができない会社は、お客さんが誰も来ない職場で、じー、じー、じーと1万円札をシュレッダーにかけ続けているような気持ちでいる。こうしたとき手持ちのお金が消えていくスピードは、恐ろしいほど(ほんとうに体が冷たくなるほど)速い。

東京や大阪の知事はじつに巧みな演出をしているが、いくら正義を装っても補償もせずに休業を迫る行政は暴力である。たしかに感染の拡大を防ぐためには、どんなことでもしなければならない。しかしそこで真っ先に求められるのは行政による救済であり、国民の犠牲ではない。それは国や自治体が予算を使って行う仕事であって、臣民の私財の供出に頼るべきものではない。

やはり国は、国民に犠牲を迫るより先に「家でおとなしくしているだけでこんなに貰えちゃった、でへへ得したー」と思わせるくらいのお金を使うべきだ。
なに、いくら使ったところでたかが数ヶ月のことである。店や会社なら簡単に潰れるが、国はそれくらいでは潰れない。ばんばん使って大丈夫だ。あとのことは生き残ってから考えればいいじゃないか。