パチンコ2

近所のパチンコ店がきょうも営業を続けている。
いつまでたっても要請に応じない6店舗として、とうとう県の公式Webページに店名が公表されてしまった。剛の者である。

さっき買い物のとちゅうに通りかかったら、店の出口にひと組と、通りを渡ったところにもうひと組、テレビ局のクルーと思われる人たちが機材を備えて待っていた。きっと客の何人かはインタビューとかされちゃうんだろう。自粛要請されているのはご存知ですよね。どうしてパチンコやろうと思ったんですか。自分が感染源になることは考えないんですか、とかなんとか訊くのだろうか。そしたら客の方は、いやウイルスを移すつもりはないです。自粛って言っても気晴らしくらいしてもいいと思って。感染は怖いけどパチンコくらいしかすることないし、とでも答えるのだろうか。

きょうは何しろ、取材に来ている人たちが気になった。あの人たちは、何のために来たのだろう。取材して何を伝えたいのだろう。おそらく「強欲な店とそこに集まる思慮のない反社会的な人々」を求めて来ていると思われるが、そうした映像を作り出すことで、どういうメッセージを伝えたいのだろう。自粛を徹底させたいならみんなが自粛している映像を流すべきなのに、そうではない絵をわざわざ撮りに来ているのだから、これは、みんなで我慢しているのにその和を乱す人たちがいます!というメッセージによって、憎しみと分断をもたらそうとしているのだろうか。それとも、補償がないから営業を続けざるを得ないのだという店側の主張を取り上げ、庶民に負担を強いるばかりの行政に対する抗議の声を集めようとしているのか。どっちなんだろうね。両方織り込んでくれるのかもしれないし、この先は、夕方のニュースを見てから判断しようかね。


というわけで、放送されたニュースを見てみたんじゃが、案の定、店とお客を非難する構成になっていた。
こんなふうに自粛しない悪い人たちをニュースでさらすことが、広く自粛を促進する効果があるとは思えないが、まあそこは譲ってあるとしよう。ただそれでも報道の使命を考えると、店や客を責めるだけでは片手落ちだと言わざるをえない。

今マスコミが果たすべきは、世間の反感や非難をひりひり感じながらそれでも営業継続を選んでしまう人たちの事情にも、ひとしく目を向けることである。すなわち、行政は十分な補償をしていない、それが営業を継続しているそもそもの理由だ、ということをも、合わせて報じることである。

そうした報道は、ひとりひとりの生活を守るだけでなく、民主主義を守るためにどうしても必要なことだ。われわれはこれだけの権利を持ったこの国の主権者なのだ、ということを、機会あるごとに知らしめるのも報道の大切な役割であるはずだ。

報道にせよ政治にせよ、自分はこの仕事によってどんな社会を実現させたいのか、ということを忘れずにいてほしい。それだけで、いろいろなことが、すごくよくなるような気がするんじゃよ。