メールを整理していたら、こんなんが出てきた。
甥っ子が5歳のときに作ったおはなし。
「昔々ある所に、勇ましい女の子がいました。
女の子は竜に食べられてしまいました。
女の子は竜のお腹の中で、
いつまでも幸せに暮らしましたとさ。」
こやつ天才か。
飛び出しくん
毎朝出会う、飛び出しくん。
右手と右足がいっしょに出ているところが
歌舞伎の六方みたいでいなせである。
つぎの一歩はどう出すのだろう。
習い性を身につけよう
目で見てすっかり知っているつもりになっているけど、
じつは読み方があやしい字ってありますよね。
たとえば、
千変万化(せんぺんばんか)とか、
習い性(ならい・せい)となる、とか、
字は簡単なんですが、読みはけっこう怪しくないですか。
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むかし授業中に先生が
「…という作品は、しゅっしょくの出来ばえだ」
なんて言うのを聞いて、
ほお、出色ってのはしゅっしょくって
読むんだ、と妙に新鮮に感じたことがある。
ではそれまでどう読んでいたか。
「でいろ」ではない。
「でしょく」でもない。
じつは、何とも読んでいなかったんだよねー。
こういうやさしい漢字は、
読めていなくても意外と気がつかない。
だからいかにも読めない漢字よりも、
ことによるとタチが悪いのかもしれない。
もっとも、
さっき挙げた「習い性となる」あたりは、
読めていないことを自覚していない人があまりに多く、
あまりに堂々と誤用をするためか、
「その人にしみついた習慣的な行動様式」
という意味はそのままに、
「ならいしょう」という名詞として定着し、
とうとう天下の広辞苑にまでに載ってしまった。
多数決の勝利というべきか。
でね。
それはそれでいいのだけれど、
いつかネットで目にした例は、さらなる進化を遂げていて、
さすがにちょっと驚いた。
どこかの学習塾のページだったか、
「こつこつ続けていけば、やがて習い性が身についていく!」
だってさ。
「習い性=勉強のクセ・習慣」だなんて、なかなかいい。
もしかして、
これって税金の無駄遣い?
飲めない水飲み場って、なに?
またまたこんな夢
大学のときの集まりがあって、久しぶりに東京に出かけた。
短パンに長袖のTシャツという格好をして行ったら、
みんなきちんと礼服を着ていて、とてもきまりが悪かった。
おまけに罰として廊下の隅で正座をさせられたのが、
夢ながら何とも情けなかった。
どういうわけかこんな風に、
夢の中ではひとりだけ場違いな格好をしていることが多い。
今日は短パンだからマシだったが、
この間はパンツだったし、
ちょっと言えない姿のときもある。
なんなんだろうね、これは。
夢の中ではいつもこんな具合だ。
イヤな夢だけことさらに覚えてしまっているのかもしれないが、
どうも物事がうまく運ばない。
今日の夢でも、
ひとり来ていないヤツがいたから、
電話してやろうとしたのに、
携帯電話の使い方がどうしても分からなかった。
たまに空を飛ぶ夢を見ても、
1メートルくらいしか浮かないし、
歩いている人を抜かせない。
運転する夢では、
ブレーキとハンドルがまったく効かず、
他人の庭を暴走してしまう。
なんだこれ。
先週行ったところ
この写真を見て、ピンと来た人は、
ちょっとした映画通かもしれない。
オダギリジョーと柴咲コウが主演した
「メゾン・ド・ヒミコ」の舞台である。
御前崎にあるカフェ、Welcome Tea。
日当たりのよい一角にある大きなテーブルに座ると、
庭のむこうに浜辺が見えた。
春を思わせる暖かな冬の日だった。
透明な光を浴びて波がやけに白い。
果てもなく続く波の寄せ返しを眺めているだけで、
いつのまにか気持ちが晴れ晴れとしてくる。
ぼくはメゾン・ド・ヒミコを観ていないし、
映画のロケ地だからといって特別な思い入れなどないのだが、
あの場所の、ふだんとはまったく違った空気は、
とてもよかった。
水平線がまあるく見渡せる海なんて、
これまでに見たことがあったろうか。
生きててよかった
4年ほど前から使っていたiPodが、いよいよヘタってきたらしく、
充電しても1時間くらいしか動かなくなってしまった。
毎日毎日がんがん使っていたので、納得の行くことである。
今となっては珍しい白黒ディスプレイの15GB。
酷使に耐えて、よく働いてくれた。
で、アップルにバッテリー交換を依頼したのだ。
往復送料税込みで、6800円。
別の業者に頼めば、もっと安くもっと大容量のバッテリーに
替えてもらえることは知っていたが、
あえてアップル本家に出したのにはわけがある。
なーんと。
アップルでは、
バッテリー交換、というのは名ばかりで、
実はまったくの新品と交換してくれるらしいのである。
ほんとかなー。
半信半疑のまま、待つこと一週間。
いよいよ返ってきたiPodを見てみると。
おお。
4年も使ってギタギタに傷をつけ、
そろそろハードディスクも危ないかも、と思っていたiPodが、
ほんとうに、ぴっかぴかの新品に代わっているじゃないか。
うひゃー。
感動しました。
もーれつに感動しました。
アップルさん、ありがとう。
3年経ったら、また頼みます。
古いiPodをお持ちのみなさん、ささ、こちらへ↓
http://www.apple.com/jp/support/ipod/service/battery/
なかなか大変。
バレンタインディである。
この日をハッピーな気分で過ごせた人はどれほどいただろう。
人づてに聞いた話だが、
チョコレートをもらえそうにないからと
学校を休んでしまった男の子がいるという。
チョコレートがもらえないくらい冴えない男だということは、
チョコレートがもらえるかどうかとは関わりなく
はたから見れば分かり切ったことなのに、
まったく気の毒なことである。
さて、友チョコというのをご存じだろうか。
文字通り、友だち同士でやりとりするチョコのことである。
まず義理チョコの新しいバージョンと思えばよろしい。
なかなかほほえましいと言えば言えるし、
意中の男の子がいなかったり、
いてもなかなか渡せないような女の子には、
格好の代償行為になっているのかもしれない。
しかしこれはこれで、なかなか気が重いもののようだ。
誰かにあげる、ということは、
誰かにはあげない、ということでもあり、
この選択が実に難しい。
自分がチョコをあげた子から同じようにもらえれば問題はないが、
もらえなかったら
ああ、この子は私を友だちと思っていないんだ、と傷つくし、
逆に自分があげなかった子からもらってしまうと、
ああ、どうしよう、私はこの子を傷つけてしまった、
なんて悩むことになるらしい。
おそらく今日は、全国の何百万という女の子たちが、
こんなふうにものすごーく気を遣い、
神経をすり減らすような思いをしていたのだろう。
友チョコなんていう言葉を
誰が作って流布させたのか知らないけれど、
そう考えると、なかなかむごいもんだよね。
物言えば唇寒しってか
柳沢大臣の発言の波紋がなかなかおさまらない。
女性を産む機械よばわりしただけでなく、
子どもを二人以上持つのは健全なことだ、
と発言したことが、格好の攻撃の的になっているのだ。
さっきもテレビを見ていたら、
「女性が子どもを産んでくれないと困る」とは
どういうことだ、
なんてかみついている女性議員がいた。
柳沢さんは百回も答弁に立ち、一分ごとに謝っていたとか。
ちょっと待て。
いや、ごめんなさい。待ってください。
少子化問題というのはつまるところ、
柳沢さんが言うとおり、
「女性が子どもを産んでくれないと困る」
ということじゃないんでしょうか。
彼が言いたかったのは、
女性ひとりひとりを見たときには
産むか産まないかは個人の自由に違いないが、
社会全体を見たときに、
みんなが産まない選択をしたらこりゃえらいことになる。
という極めて当たり前のことであって、
何も「こどもを産まない女性は困る」と言っているわけ
じゃない(はずだ)。
二人以上の子供を持つ夫婦を「健全」と言っているわけ
ではなく、
そうして人口が維持できる社会を「健全」と言っている
のだ(ろう)。
そりゃ、
産みたくても産めない女性がいる
子どもを産まない選択をする女性がいる
そういう女性のありかたを否定するのは許せない、
と言いたい気持ちはわかるし、
安心して子どもを産める社会環境を整えろ、という
要求もすごくまっとうだと思うのだが、
女性には産まない権利もあるのだから、
産まなくたっていいじゃないか!
というところまでいくと、
まったく理屈がわからなくなってしまう。
だってそれじゃ、
ショーシカなんてノープロブレム、ってことに
なっちゃうでしょ。
もう揚げ足取りはいいからさ、
報奨金を山のように出すとか、
大学までの教育費を無償にするとか、
そういうたぐいの実効性のある政策について議論してくれると
納税者としてはうれしいんですけど。
きょうも朝日は
おとといの朝日新聞夕刊のトップを飾ったのは、
「女は産む機械」発言で総スカンを食っている柳沢大臣が
参院予算委員会で大あくびをしている写真だった。
ご覧になりました?
もう何というか、マスコミの、というか
朝日新聞の見識の低さというのは、もはや犯罪的である。
柳沢という人は、
こんな状況にあっても大あくびしてしまうような人なんですよ、
ということを伝えたいのは分かるが、
このやり方はあまりにも卑劣じゃないか。
もしいいタイミングであくびをしてくれなかったら、
憮然としているように見える写真を使ったのか。
それとも目を閉じた瞬間を撮って、
居眠りしているかのように報じたのか。
次に載せるのは、馬鹿そうに見える写真か、
腹黒そうに見える写真か。それとも
開き直った態度のふてぶてしい写真か。
いいかげんにしてくれ。
こんなことをして何になる。
新聞を「よいもの」だと素朴に信じているこどもたちが、
かくも低級なものを正義だと誤解したらどうする。
朝日といえども新聞屋の端くれなんだから、
ねちねちせずに、堂々と政策批判をすればいいじゃないか。
ぷんぷん。