講談社青い鳥文庫には、良心的な作品が多い。
古典的な名作や、スタンダードとでもいうべきものを、
小中学生にも読みやすい編集で提供してくれている。
ところが中には、信じられないくらいひどい作品がある。
先日目にした「坊っちゃん」がそれだ。
夏目漱石の「坊っちゃん」と言えば、
夏目漱石の「坊っちゃん」しかないに決まっているが、
その本は違った。
なんとオリジナルの文章を、
今の子どもには分かりにくいだろうという「配慮」から、
ところどころ(分からない程度に)書き直してあるのだ。
今「坊っちゃん」を読む意義があるとすれば、
それは何より明治時代の文章を味わい、
古い日本語をなつかしく継承するところにあると思われるが、
本書の意図はそこにはない。
なんせ子どもを名文に導くのではなく、
名文を子どものレベルに引き下ろしているのである。
直しがほんのちょっとなのは、
原文の素晴らしさをそこなわないように、
ということなのだろうが、このほんのちょっとが耐え難い。
どうせなら、
ひと目でそれと分かるほど直してしまえばよいのだ。
そうすれば誰もそれを「漱石の作品」とは思わない。
書き直したところに注もないから、
この本を読み終えた人の大半は、
リライトされていることに気づかないだろう。
すなわち、
あやまって本書を与えられた子どもたちは、
本書のつぎはぎされた妙ちくりんな文章を、
漱石のものだと疑わず読むことになるわけだ。
他の本との差別化を図りたいのは分かるが、
これはいけない。
はっきりと、「原作/夏目漱石、平成訳/福田清人」
と書かなくちゃ。
みなさん、類似品にはくれぐれもご注意くださいね。
月別アーカイブ: 2006年6月
何の気なしに買ったけど
「志賀直哉はなぜ名文か」という本には
ちょっとくらくらきた。
「日本語大シソーラス」を編纂した山口翼が、
志賀直哉のすごい文章を精査し、拾い上げ、分類し、
簡単な解説とともに並べて見せてくれている。
すごい文章、なんていうとまるで齋藤孝を真似している
みたいでイヤなのだが、
だって実際、改めてみると、志賀直哉って人はすごいのだ。
ぼくが志賀直哉を読んでいたのは小学生の頃だから、
子どもが知らない人に寿司を食わせてもらうとか、
蜂がだんだん死んでいくとか、
清兵衛くんはひょうたんが大好きだとか、
そんな話のどこが面白いのかまったく分からなかった。
ずっと経ってからも、
志賀直哉自身が朗読している「暗夜行路」を聞いて、
つっかえつっかえ棒読みしているさまを笑ったりするくらいで、
まともに読み返す気持ちになったこともない。
ところがねえ。
志賀直哉の文章は、ほんとうにすごいのだ。
短編小説の神様、なんて言われる構成の妙は知らないが、
こと表現に関しては、まさに名人芸だと思わずにはいられない。
もっともそうした達意の表現であっても、
自分で小説を読むだけならおそらく何気なく読み過ごして
しまうだろう。
山口氏が丁寧に拾い上げ、額に入れて見せてくれたために
はじめて気がつくすごさである。
「浮かれた気持ちを不意に叩かれた妻は
調子のとれない不安な顔をして、脇へ来て座った」
なんて、
気取りや工夫の跡さえ見えない書き方だけれど、
そのままの情景がありありと浮かんでくるじゃないか。
もしかしたら志賀直哉って、
今でもまだまだ読まなきゃいけない作家なのかも知れない。
座ったままで、君が代
東京の公立高校の卒業式で
君が代「不起立」を呼びかけて式を妨害した人がいた。
彼は定年までその高校で教鞭を執った元先生だったが、
裁判で威力業務妨害罪に問われ、ついに今週、
罰金刑を言い渡された、という。
どうよ、これ。
天皇の御代がいつまでも続きますように、
なんて歌をオレは国歌とは認めん、という主張は、
分からないでもない。
オレが正しいと信じていることは正しいに決まっているし、
その正しいことを貫き通す行為はこれまた正しい、
と信じる気持ちも、この際分かってやっていい。
しかし、公立高校で定年まで教鞭を執った先生が、
お世話になった東京都やお国に反旗をひるがえすってのは、
やっぱりおかしいのではないか。
なにしろこの人の人生は、公立高校の教師としての禄を食む
ことで成り立っていたのである。
それほど不満があったなら、さっさと高校を辞め、
私塾でも何でも開けばよかったではないか。
いや、そうではない。
抗議をしたい気持ちを強く持ちながら、
現職の教師という立場に鑑みて、ずっと抑えてきたのだ、
定年を迎えて公務員としての立場を離れて
はじめて自らの信念に基づいた行動に出たのだから、
筋が通っているじゃないか、
と考える人もいるかもしれない。
うーん、難しいねえ。
ただ、
ウソかホントかは知らないが、
学生運動が盛んだった頃、
「革命の理想を掲げる以上、国の庇護の元で勉強する
わけにはいかない」と、
あえて私大に進んだ連中がいたという。
こういう馬鹿ないさぎよさが、ぼくは好きだ。
知らなかった
みなさんご存じでしたか。
歩行者は信号を守らないといけないんですよ。
違反すると、2万円以下の罰金なんですって。
びっくりするじゃありませんか。
わたしは今日まで、
パトカーが止まっているその目の前でも堂々と
信号無視をしていて、
「はい、信号赤ですよ!!」とかマイクで言われちゃっても、
ふーん、歩行者免許なんかないんだもんね、
減点だってないんだもんね、と思ってヘーキだったのですが、
あれはとんでもないことだったのですね。
別に悪事を尽くし立派な不良になろうとしていたわけではなく、
ただ法律で守ってもらわなくても、
自分の安全くらい自分で守るんだからよけいな気遣いはいらない、
というだけの気持ちでしたが、
そうした歩行の自由がなぜ許されないのか、
わたしには理解ができません。
赤信号で渡るときの慎重さは、
青信号を気楽に渡る時とは比べものになりません。
何度も左右を確認し、右を見ている間に左から来るかも、
いやこうして左を見ているうちに右から来ているかもしれない、
という緊張は、いちいちご説明するにも及びますまい。
赤で渡る以上、はねられても当然自分のせいという意識が
ありますから、ぼんやり信号に従って渡るよりも、
はるかに安全コンシャスな状態であることは間違いありません。
ってなことを考えると、
明らかに「本人がいいって言ってるならいいじゃん」という
レベルの問題のように思われますが、
お上が罰金2万円、すなわち今月は小遣いはなし、という
容赦のない厳罰を定めている以上、そこにはなんらかの法理が
あるはずです。
うーん、うーん、うーん、うーん。
そうか!
信号無視して事故に遭って病院に担ぎ込まれたら、医療費がかかる、
つまり健康保険からお金を出さなくてはいけない。
つまり、喫煙者パージが吹き荒れたあの「健康増進法」と同じく、
事故を減らし、もって医療費を削減する、
というのが狙いなのでしょうか。
まさかねー。今度おまわりさんに聞いてみよっと。