デジカメ礼賛

雨上がりには、何でもないものがきれいに見える。
今朝もベニカナメの生け垣が濡れ残っていて、
赤と緑が昨日までとは見違えるくらいに鮮やかだった。
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こういうことに気がつくようになったのは、
デジタルカメラのおかげだと思う。
カメラを持っていると、
きれいなものを見つけたいから、
小さなことによく気づく。
きれいな物に気づくということは、
世界がずっと美しく見えてくる、
ということだ。
テクノロジーが進歩すれば、
人の感受性はどんどん低下するように
言われることも多いけれど、
実感としてはそうではない。
パソコンを使い、デジカメを使うことで、
以前であったら考えられないような
物の見方が生まれ、
それをもとにした自己表現ができるようになった。
これはやっぱり素晴らしいことだ。(6/9)

けさの夢

脱皮したパンダの抜け殻を見た。
ちょうど靴下を脱いだように
くちゅくちゅに丸まっている。
きれいな乳白色に透き通って
ぷるぷるしていたのに、
触ってみようとしたら、
みるみるうちに茶色になってしまった。
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眠りの淵から湧き上がる詩心よ

リフォームが終わって、自宅に戻った。
片づけ作業に疲れたのだろう、
ちょっと横になるつもりが、
そのまま朝まで眠ってしまった。
何度も起きては寝直しているうちに、
夢を見た。
夢の中で詩を作った。
すごい詩だ、と思って、
目覚めてすぐに書き留めた。
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”もしおれがI(アイ)型だったら、
まっすぐに立ち上がったヤマシナというわけだ。
ありがとう、テントウムシくん。”
相変わらず、寝ているヤツの考えは分からん。

ひさびさの散歩

講演会を聞きに行った。
途中うかつにも携帯電話が鳴ってしまったので、
頭を下げ下げ恐縮しつつ退出した。
皆さんの迷惑にならないように
遠くへ遠くへと思うあまり、
早足でセミナー会場を出て、
エレベーターで1階に降り、
ロビーを抜け、
外に出た。
隣接する公園を抜け、
地下鉄に乗り、
お寺に続く参道を歩いた。
脇道にそれて、
少し汗ばみながら坂をのぼって、
ふと気がついたらあら不思議、
こんな写真が撮れました。
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少ない方がいいのかも

自宅リフォームにともなう仮住まいも、もう3週間になる。
できるだけ段ボールを開けないように暮らしているため、
手元にある本は小林秀雄「本居宣長」1冊だけだ。
他に読むものもないので、
この本を雑誌のように眺め暮らしているのだが、
これがなかなかよい。
大げさかもしれないが、自然にしみ込んでくるというか、
体の一部として吸収されているような感じがするのだ。
読書百遍、というのはホントらしい。
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こんなふうに繰り返し繰り返して読む読み方を
経験してみると、
一日一冊がんがん読む、というようなやり方は、
読書というより
情報収集とでも呼ぶべきものだと分かってくる。
言ってみればそれは、
手間のかかった極上の料理を一口食べては
ぽいぽい捨てるようなやり方に近い。
数多くの情報を取りいれよう、というのではなく、
ただこの1冊だけ、という気構えで臨むと、
読書の味わいはまったく変わってくる。
人とのつきあいと同じように、
この本だけと思い定めた一対一の関係ができてくる
みたいだ。
印刷技術の発達していない時代の知識人たちが、
それほど多くの本を読めたはずはないが、
しかし後世に残る偉大な業績は、
みな彼らから生まれている。
このことは、よーく考えてみた方がいいよね。

イヌとネコ

イヌとネコのどっちが好きかというと、
相手をしてくれるネコ
甘ったれてくるイヌ
相手をしてくれないネコ
の順に好きです。
ネコがイスに座ったぼくの足を尻尾でこすりながら
通り過ぎたりすると、
なつかれているような気になってうれしくなります。
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このネコは、相手をしてくれないネコですが、
写真だけは撮らせてくれるので、好きです。
小学生の作文みたいになりました。おしまい。

こいつだけは許せん

いつも7時半までぐーすか寝ている私が、
今朝は5時に目が覚めた。
目が覚めたのみならず、
こうして起き出して活動をしている。
すばらしい。
いや、大したことじゃない。
ほめるんだったら、こいつをほめてやってくれ。
蚊。
そう、蚊ですよ、蚊。
あ、蚊がいる!
と騒ぎ立てるわれわれに学び、
幼いわが子が
「かが」
と呼んでいたあれである。
いとけない子どもが、
「かががいる」
と「が」を余分に言うさまは何とも可愛らしかったものだが、
その長男も今ではちっとも可愛くなくなり、
もとより蚊など最初からかわいくない。
至福の思いで布団にくるまっていたら、
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ぷーん
ああ、うっとうしい!
目が覚め、たまらず起きてみると、
左のひじと手首と小指の付け根と首筋と頬を刺されていた。
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まったくこの世にあれほど卑劣なものがあるだろうか。
夜陰に乗じてこっそりと人を襲い、
まるであざ笑うかのように羽音を立てて、
姿を見せない。
刺すだけならまだしも、
ぷーん
ぷーん
ぷーん
とまとわりついて、ついには私を起こすのだ。
こいつだけは許せない。
自然の摂理は深遠である。
人には伺い知れないバランスがあり、
一見無駄と思えるものにも隠された役割があり、
そうした役割が複雑に絡み合って、
玄妙な自然の均衡が保たれている。
もしかしたら、この蚊にも、
何かしら大きな役割があるのかもしれない。
でもいい。
どんなことになってもいい。
この地球がどうなっても構わない。
おまえら、とっとと絶滅してくれ。
まぶたも刺されてるし。
くそーっ。

15年ぶりに

前橋汀子のコンサートに行ってきた。
仕事がら夜は出かけられないので、
こういう昼間の催しはありがたい。
うかつにもチケットの購入に出遅れて、
痛恨の2階席となったが、
行ってみればホールは小さく、
ステージ正面のとても見やすい場所だった。
生ならではの
空気が鳴っているような音の響きだけで、
もう十分嬉しくて、
最初の十秒くらいは、
気持ちはどこかにトリップしていた。
もちろんそんな陶然とした気持ちは
響きに慣れた頃には消えてしまうものだけれど、
あの一瞬を味わえただけでも
出かけた甲斐があった。
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同じ音楽とはいうものの、
あれはいつもiPodをイヤフォンで聴いているものとは、
まったく違っていた。
何だろう。
映像と実物を比べたときに感じるような、
“実体感”の違いというか、
耳だけで聞くものと、
全身で受け止めるものとの違いというか、
普段聴いているものが、
演奏そのものではなく、
演奏のカタログに過ぎないような感じがしてしまった。

お湯も沸かせない大学生

まったく自慢にならないが、
ぼくは昔から、大変おぼえが悪い。
記憶力が悪いという以上に、
対象に馴染むまでに非常に時間がかかるのだ。
勘が悪いと言うべきかもしれない。
だからはじめてのことをしようとすると、
最初はほとんどついていけない。
誰もが当たり前にできることが、まったく、
本当にまったくできなかったりするのだ。
言われたことに、
なかなかチューニングが合わない。
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学生のころアルバイト先で、
お湯を沸かしておいてくれ、と言われたことがある。
今となっては信じられないが、
そのときぼくはこの簡単な指示が、まったく理解できなかった。
お湯って、どういう?
沸かせって、どうやって?
沸騰させるのか?
それとも温かいお湯がほしいのか?
飲むのか?
調理に使うのか?
掃除につかうのか?
それとも加湿に?
小さな鍋で?
大きなヤカンで?
まずきれいに洗わないとだめなのか?
それとも?
なんてことがまったく分からず、
しばらくぼんやりと突っ立っていたのである。
まったく間抜けな話である。
その後1週間でクビになったが、
そりゃそうだろう。
なかなか分かってくれない子を教えるときに、
よくこのことを思い出す。