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ジャンクってジャンクのことだったんだー

もしかしたら、という抱くも愚かな期待を胸に
年末ジャンボを買ったのは、それほど遠いことではない。
宝くじというのは、
もともと売上の半分以下しか賞金に充てられていないから、
難しい計算をするまでもなく、
100円買っても50円以下しか戻ってこないものであるのは
明らかだ。
かつて「ふるさと創生」資金として一億円の交付を受けた
どこかの町が、使い途に困って全額宝くじを買ってしまった
ことがあったが、
確率的にいえば5千万円以下の当選金しか当てにできない
ものに1億円を使ってしまったわけであり、
まったく愚かというほかない。
もちろんこれはひとごとではない。
夢を買う、などという言いぐさは
自分の愚かさをごまかすだけのものだ。
こんなことを考えてしまったのは、
昨日買ったデジカメが、ちょうど
年末ジャンボ10枚分の値段だったからに違いない。くそー。
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バクチはいけません

たとえばですよ。
今デジカメ用のSDカードが欲しいとするじゃないですか。
1GBのを大手量販店で買うと4300円くらいしますよね。
ところが大須に行くと、
メーカー不明、動作保証なしという代物が1480円で買えるわけです。
そうすると、きっと誰だって
3倍近い値段差というのは、安心料にしては高すぎる、
とか、
ここで不安になって、高いヤツを買ったら負けだ、
とか思いますよね、ね。
で、わたしも、多少の逡巡はするものの、
そういうときには誰もがするように
安いほうをおりゃーっと買ってしまうわけです。
動けば儲けもん、ってなもんですが、
幸いこれまで動かなかったことはありません。
でね、今日、
食事に出たとき中古のデジカメを見つけたのよ。
「バッテリーがないため、動作確認していません」
というジャンク品。
ジャンク品っていっても、ピカピカにきれいだったから、
あたしゃピンときたね。
こりゃ動くよ。
もちろんジャンクですから、動かないかも知れません。
でも、考えてみてください。
動くに決まっているものに高いお金を出して、
いったい何になるのでしょうか。
そこには安く買った満足感も、
ちゃんと動いた喜びもありません。
動くか動かないか分からない物にあえてお金を投じ、
それが動くから嬉しいのではないですか。
今日家に帰ったら、さっそく電池を入れてみます。
どうか動いてくれますように、ぱんぱんっ。

すごい才能

メールを整理していたら、こんなんが出てきた。
甥っ子が5歳のときに作ったおはなし。
「昔々ある所に、勇ましい女の子がいました。
女の子は竜に食べられてしまいました。
女の子は竜のお腹の中で、
いつまでも幸せに暮らしましたとさ。」
こやつ天才か。

飛び出しくん

毎朝出会う、飛び出しくん。
右手と右足がいっしょに出ているところが
歌舞伎の六方みたいでいなせである。
つぎの一歩はどう出すのだろう。
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習い性を身につけよう

目で見てすっかり知っているつもりになっているけど、
じつは読み方があやしい字ってありますよね。
たとえば、
千変万化(せんぺんばんか)とか、
習い性(ならい・せい)となる、とか、
字は簡単なんですが、読みはけっこう怪しくないですか。
—————————————
むかし授業中に先生が
「…という作品は、しゅっしょくの出来ばえだ」
なんて言うのを聞いて、
ほお、出色ってのはしゅっしょくって
読むんだ、と妙に新鮮に感じたことがある。
ではそれまでどう読んでいたか。
「でいろ」ではない。
「でしょく」でもない。
じつは、何とも読んでいなかったんだよねー。
こういうやさしい漢字は、
読めていなくても意外と気がつかない。
だからいかにも読めない漢字よりも、
ことによるとタチが悪いのかもしれない。
もっとも、
さっき挙げた「習い性となる」あたりは、
読めていないことを自覚していない人があまりに多く、
あまりに堂々と誤用をするためか、
「その人にしみついた習慣的な行動様式」
という意味はそのままに、
「ならいしょう」という名詞として定着し、
とうとう天下の広辞苑にまでに載ってしまった。
多数決の勝利というべきか。
でね。
それはそれでいいのだけれど、
いつかネットで目にした例は、さらなる進化を遂げていて、
さすがにちょっと驚いた。
どこかの学習塾のページだったか、
「こつこつ続けていけば、やがて習い性が身についていく!」
だってさ。
「習い性=勉強のクセ・習慣」だなんて、なかなかいい。

またまたこんな夢

大学のときの集まりがあって、久しぶりに東京に出かけた。
短パンに長袖のTシャツという格好をして行ったら、
みんなきちんと礼服を着ていて、とてもきまりが悪かった。
おまけに罰として廊下の隅で正座をさせられたのが、
夢ながら何とも情けなかった。
どういうわけかこんな風に、
夢の中ではひとりだけ場違いな格好をしていることが多い。
今日は短パンだからマシだったが、
この間はパンツだったし、
ちょっと言えない姿のときもある。
なんなんだろうね、これは。
夢の中ではいつもこんな具合だ。
イヤな夢だけことさらに覚えてしまっているのかもしれないが、
どうも物事がうまく運ばない。
今日の夢でも、
ひとり来ていないヤツがいたから、
電話してやろうとしたのに、
携帯電話の使い方がどうしても分からなかった。
たまに空を飛ぶ夢を見ても、
1メートルくらいしか浮かないし、
歩いている人を抜かせない。
運転する夢では、
ブレーキとハンドルがまったく効かず、
他人の庭を暴走してしまう。
なんだこれ。

先週行ったところ

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この写真を見て、ピンと来た人は、
ちょっとした映画通かもしれない。
オダギリジョーと柴咲コウが主演した
「メゾン・ド・ヒミコ」の舞台である。
御前崎にあるカフェ、Welcome Tea。
日当たりのよい一角にある大きなテーブルに座ると、
庭のむこうに浜辺が見えた。
春を思わせる暖かな冬の日だった。
透明な光を浴びて波がやけに白い。
果てもなく続く波の寄せ返しを眺めているだけで、
いつのまにか気持ちが晴れ晴れとしてくる。
ぼくはメゾン・ド・ヒミコを観ていないし、
映画のロケ地だからといって特別な思い入れなどないのだが、
あの場所の、ふだんとはまったく違った空気は、
とてもよかった。
水平線がまあるく見渡せる海なんて、
これまでに見たことがあったろうか。

生きててよかった

4年ほど前から使っていたiPodが、いよいよヘタってきたらしく、
充電しても1時間くらいしか動かなくなってしまった。
毎日毎日がんがん使っていたので、納得の行くことである。
今となっては珍しい白黒ディスプレイの15GB。
酷使に耐えて、よく働いてくれた。
で、アップルにバッテリー交換を依頼したのだ。
往復送料税込みで、6800円。
別の業者に頼めば、もっと安くもっと大容量のバッテリーに
替えてもらえることは知っていたが、
あえてアップル本家に出したのにはわけがある。
なーんと。
アップルでは、
バッテリー交換、というのは名ばかりで、
実はまったくの新品と交換してくれるらしいのである。
ほんとかなー。
半信半疑のまま、待つこと一週間。
いよいよ返ってきたiPodを見てみると。
おお。
4年も使ってギタギタに傷をつけ、
そろそろハードディスクも危ないかも、と思っていたiPodが、
ほんとうに、ぴっかぴかの新品に代わっているじゃないか。
うひゃー。
感動しました。
もーれつに感動しました。
アップルさん、ありがとう。
3年経ったら、また頼みます。
古いiPodをお持ちのみなさん、ささ、こちらへ↓
http://www.apple.com/jp/support/ipod/service/battery/

なかなか大変。

バレンタインディである。
この日をハッピーな気分で過ごせた人はどれほどいただろう。
人づてに聞いた話だが、
チョコレートをもらえそうにないからと
学校を休んでしまった男の子がいるという。
チョコレートがもらえないくらい冴えない男だということは、
チョコレートがもらえるかどうかとは関わりなく
はたから見れば分かり切ったことなのに、
まったく気の毒なことである。
さて、友チョコというのをご存じだろうか。
文字通り、友だち同士でやりとりするチョコのことである。
まず義理チョコの新しいバージョンと思えばよろしい。
なかなかほほえましいと言えば言えるし、
意中の男の子がいなかったり、
いてもなかなか渡せないような女の子には、
格好の代償行為になっているのかもしれない。
しかしこれはこれで、なかなか気が重いもののようだ。
誰かにあげる、ということは、
誰かにはあげない、ということでもあり、
この選択が実に難しい。
自分がチョコをあげた子から同じようにもらえれば問題はないが、
もらえなかったら
ああ、この子は私を友だちと思っていないんだ、と傷つくし、
逆に自分があげなかった子からもらってしまうと、
ああ、どうしよう、私はこの子を傷つけてしまった、
なんて悩むことになるらしい。
おそらく今日は、全国の何百万という女の子たちが、
こんなふうにものすごーく気を遣い、
神経をすり減らすような思いをしていたのだろう。
友チョコなんていう言葉を
誰が作って流布させたのか知らないけれど、
そう考えると、なかなかむごいもんだよね。