ここのところ、紫陽花の写真ばかりを撮っている。
紫陽花はとくに好きな花というわけではないけれど、
写真に撮るのは面白い。
自分の狙いとはかけ離れた、
ちょっと意外な写り方をすることが多いのだ。
ものすごく上手な人はどうだか分からないが、ぼくのレベルだと、
きれいなものを見て、その美しさを残しておこうと思って撮っても、
まったく実物の素晴らしさを保存することはできない。
人間の目と脳が捉える絵の素晴らしさは、
とてもカメラの及ぶところではないといつも思う。
その代わり、何でもないものを、取りあえず撮ってみると、
それが案外面白い写真になったりする。
写真という名前に反して、
実際に目に見えている印象をそのまま撮ることはできない一方で、
肉眼では見えなかったものが、撮ることによって出現するのである。
こんな風に撮れた写真にあらわれているものが、
果たして紫陽花の美しさと言えるのかどうかは知らない。
しかし、隠された美しさや造形の見事さを見つけ出すのに、
デジカメくらい面白くてお手軽な物もないな、と思う。
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素朴な疑問
パリのエッフェル塔は、建設当初から
根強い反対運動にさらされていた。
モーパッサンがこの塔を醜悪だとして
嫌っていたことは有名な話である。
京都タワーは、京都の景観を台無しにしていると、
いまだに名指しで非難されることが多い。
最近では、石原都知事が「東京タワーは嫌い」と発言した。
愛知県にも瀬戸デジタルタワーという
高さ245mにもおよぶ立派な塔が出来たが、
こちらは話題にすらなっていない。
そんな中、東京スカイツリーは、最初から、
めちゃくちゃヒイキされている。
破格の扱いと言ってよい。
どうして?
そんなにかっこいいか?
あれを見ると、どうもアジアの新興国とか、
中東の産油国あたりを思い出してしまうのだが、
そんな気がしちゃいけないくらい、ヒイキされているよね。
【そびえ立つエッフェル塔。全高0.098m】
どうしてスカイツリーは最初から「いいもん」なんだろう。
「いいもん」と「わるもん」の区別は、
誰がどうやって決めているのだろう。
もしかして、マスコミがこぞって、
落下物があったら死傷者が出ることは確実だ
電磁波の安全性は十分に確認されたとは言えない
都市部に建設する必要があるのか
長期的な経済効果には疑問を呈さざるを得ない
巨大建造物はすでに時代遅れだ
官民癒着の巨大な象徴である
なんてことを書き立てていたら、
スカイツリーは原発並みの「わるもん」になっていた
のではあるまいか。
読めるとたのしい
もしここで、
日本語の読み方を勉強するといいですよ、
なんて言おうものなら、
馬鹿にするな、と叱られるのが落ちだろう。
今これを読んでくださっているみなさんだって、
そうね、読めない人はいるけれど、
それは私のことではないわ、
と思っていらっしゃるのではないかしらん。
ぼくは無謀にも、
自分の力量をずうっと超えた本を読もうとして来たから、
自分の読めなさについては相当に自覚的である。
そして難しい本ばかりではなく、
やさしく見える文章でも実はちーとも読めていなかったな、
と反省することは今でも多い。
今日はたまたま池田晶子さんの文章を読んでいて、
またそんな気分になった。
この人の文章とはどこか波長が合わないのか、
ふつうに読むと、ふしぎなくらい頭に入って来ない。
論理というより連想によって導かれたバラバラの文が、
明滅する詩のように、
独り言のように投げ出されている感じがする。
ひとつひとつの文は易しいけど、
全体としてのつながりがどうも頭に残らないのだ。
そこで、今日は、勉強モードで読んでみた。
リズムに任せてがんがん読んじゃうのではなく、
切れ切れに見える意味のつながりを、
積極的に見つけていこうとしてみたわけだ。
そうしたら、あーら不思議。
あんなに分かりにくかった文章が、
たいへん筋の通った、誤解の余地のない、
明晰なことを言っているように見えるではありませんか。
言い回しについての、生理的な好悪は残るものの、
こいつはもしかしたら、お付き合いできるかもしれない、
と少し嬉しくなった。
というわけで、ちゃんと読もうという意識と、
ちゃんと読むための方法をもって読むと、
面白い本はまだまだいっぱいあるんだなあ、と思いました。
本の価値は読み方で決まる。
平凡ですが、本日の教訓でした。
おしまい。
本日の雑感
あの。勘違いかもしれなんですけどね。
ここんところ、いろいろなところで、だんだん
物事の決められ方が単純になってきているような気がするんですよ。
話し合って複雑な物事を何とかして行くってことが
軽んじられているんじゃないか。
押し切る/押し切られるという関係を、
話し合いと称しているんじゃないか、とか。
とくに政治に関する報道を見ていると、そういう気がして
なりません。
甲と乙が両立し難いとき、第三の可能性を模索するのではなく、
はやく白黒はっきりさせた方がいい、
だったら力ずくで相手をやり込めちゃうのが一番いい。
もしそんな考えがはびこっているとしたら、
それはまあ、なんと殺伐とした、危うい世界でしょう。
議論に勝つということは、
自分が最初から手にしていた考えを、
結局そのまま、もう一度手にするということにすぎません。
つまり、勝つことを目的にする議論では、
議論をしても、何も新しいものは生まれない。
こういう不毛な経験を続けると、ますます言葉のやりとりが、
無力なもの/不要なものに思えてしまうことでしょう。
ま、物事は常に、正邪ではなく力関係で決まるのだ、
なんて言われれば、そりゃそうなんですけどね。
晩ご飯は抜きだからねっ
思い立って、自分の適正摂取カロリーというのを調べてみた。
体重は60キロくらいにしとけ、と。ふむふむ。
で、カロリーは1日あたり1500kcalくらいにしろ、と。
ほお、座り仕事なら、1200kcalくらいでもいいってか。
はいっ、先生。ひつもんですっ。
ココイチでカツカレーでも食べようものなら、
それだけで1100kcalあるんですが。
朝食をしっかり摂った日に外食をしたら、
その日の晩ゴハンは食べちゃダメってことなんでしょうか。
かの宮沢賢治は、
「一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ」ていたんですよね。
つまり、ご飯だけで2000kcal以上摂取していたんですよね。
なんか、うらやましいなあ。
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ、です。
何も文句はありません
仕事で使っているパソコンが異常に遅い。
ダイヤル回線時代のパソコン通信のようである。
ためしてみたら、
Yahoo! Japanのトップ画面が出るまでに1分33秒。
2回目は47秒かかった。
ここまで遅いと、仕事中にウェブを眺めて息抜き、
なんてあり得ない。
モデムとルーターの電源を抜いて、もう一度入れ直してもダメ。
いろいろいじるのも面倒だから、そのままあきらめてしまった。
ま、メールはちゃんと送れるし、
考えてみれば、こんな程度でも不自由はない。
図書館に行って調べることを思えば、何百倍も速いわけだし。
しかしね。
新幹線でも2時間遅れたら
特急料金を払い戻してくれるじゃないですか。
いや、その、ね。
だから、別に文句はありませんってば。
外から来るもの
寝る前には、なるべく下らないことを考える。
必要なことは、必要になったときに考えればいいからな。
で、先ほど風呂に入りながら頭をよぎった単語は、
どういうわけか、「黒ネコのタンゴ」だった。
いやいや、駄洒落じゃなくってさ。
突然、何の脈絡もなく、こんな言葉が浮かんだのが不審だったのだ。
この感じは、ちょうど、夢を見るのに似ている。
こんな風に、意識の裂け目からこぼれ出てくる何かは、
大抵は取るに足らない雑音に過ぎないけれど、
ときどき面白いものをもたらしてくれることがある。
この、どこからか迷い込んでくる何者かは、
確実にぼくよりも頭がいい。
もしかしたら、昔の人は、
こういう何かを福の神、なんて呼んだのかもしれないね。
ジーンズショップで考えた
ふらりと入った店で、ジーンズを見ていた。
すごいね、近ごろの加工技術は。
3年かけて育てましたっていうような
実にリアルな色落ちをしていたり、
股のあたりや膝の裏に、これまた本物そっくりな
シワが最初から入っていたりする。
はき古した味、というのをどんどん追求した結果、
盛大に破れている新品が当たり前のように
売られていたりもする。
とても面白かった。
つまり、マニアの皆さんが徹底的にこだわる部分が、
最初からすっかり織り込まれているのだ。
2万数千円出して買い、洗いたいのも洗わずに、
ひたすらそのジーンズだけ履き続け、
何ヶ月もかけて味を出していく、
というような過程を一気に飛び越え、
ほんの数千円で、
最初からばっちり出来上がっているものが買えてしまう。
何と言うか、
こういう商品が売れるということは、
ぼくたちは、それほどまでに
待つことができなくなっているのだろう。
そりゃ誰だって、カッコいいジーンズは1年先じゃなくて、
いま穿きたい。
その気持ちはよく分かるし、べつに悪いことでもない。
しかし、大げさに言えば、
それをどんなことにも求めるとなると、
さすがにちょっと問題だと思う。
勉強を始めたら、すぐ結果が出ないといやだ。
営業を始めたら、すぐ業績が跳ね上がらなきゃいやだ。
話し合いをしたら、すぐ解決しなければ我慢できない。
なんてことになったら、それはとても不幸なことだ。
時間のかかることは、どうしたって時間がかかる。
時間のかかることは、時間をかけなきゃ仕方がない。
あれやこれやの便利な物に囲まれた毎日だけれど、
こういう当たり前のことを忘れちゃいかんよな、うん。
島国だからねー。
からとつな話なんですが。
日本は島国だから排他的だとか、
島国だからものの見方が画一的だとか、
まあその手のことは、よく言われる。
でもね。
うそだよね、そんなの。
世界地図や地球儀を見ると、たしかに日本はちっちゃい島である。
飛行機で降り立つと、そのままオーバーランして
海にぽっちゃんしちゃうような気さえする。
でもそれは、単にそういう地図で見るからであって、
普通に暮らしていて、日本は小さい鳥国だなあ、
閉ざされた世界だなあ、なんて思ったことがあるですか?
自分の目で見て自分の足で歩いて、
何だよ、もう端まで来ちゃったよ、ほんとに日本って狭いなあ、
なんて実感した人はいるですか?
日本はめちゃめちゃでかい。
とても歩いては回りきれない。
いろいろな人がいる。
それが実感だろう。
たしかにいろいろな肌の色の人がいて、
いろいろな言葉が飛び交う国ではないが、
それはよその国と比較した場合の程度の問題にすぎない。
いってみれば、地球人はみんな頭がひとつで腕が2本だから
画一的でいけないよねっていうのと同じたぐいの話である。
くだらない。
ぼくは自分の実感から、
日本はでかいな、いろいろな人がいるなって思う。
あ、唐突をからとつって読む人のことじゃないっすよ。
たとえば、そうね、
島が鳥になっていることに気づいちゃう人、とか?
小さな命
舗道の隙間に花が咲いていました。
コンクリートとのほんのわずかな所から、
誰に見られるわけでもないのに、一所懸命。
今にも折れてしまいそうな、たおやかで、可憐で、
それでいて強い命のあり方に、
ぼくは思わず足を止め、そこにしゃがみ込んで、
がんばれ、とささやいてしまいました。
そのとき柔らかな風がわたり、そっと花を撫でました。
ぼくには花が軽やかに声を立てて笑ったように思えました。
もしかしたら、彼女もまた、ぼくに向かって
がんばれ、って言ってくれたのかもしれません。
見上げた空がずーっと上の方まで透きとおって見えたのは、
ただ天気がよかったためではないようです。
…すみません。
やっぱりダメだ。これ以上、耐えられない。
いやね、
今日この写真を撮ったとき、思ったのよ。
よし、ここはひとつ、
すごくありきたりで、べたべたで、
歯の浮くような文章を書いてやろうって。
しかし、いや、これは、やってみるとつらいね。
ほんとうはタイトルも
「小さないのちの詩(うた)」
と決めていたんだけど、そこまでやる勇気は出なかった。
書いている当人は、背中がぞわぞわしてしまいましたが、
みなさんは、いかがでしたか。